Column

2014.08.21 Thu

エマーソン北村の誕生

藤川毅さんから、アルバム「遠近(おちこち)に」へのコメントをいただきました。と思ったらこれが素晴らしい!僕が自分から一度もまとめて公にしなかったインディーレーベル「ナツメグ」と「エマーソン」という名前との関係やそこでの僕(と藤川さん)の仕事について、本人以上によくまとめてくれてます!
最後はアルバムのことになってゆくのですが、この「コラム」コーナーの楽曲コメンタリーも丁度A面の終わりまで来たし、ゆっくり読んで欲しいのでここに載せます。僕が勝手に「エマーソン北村の誕生」というタイトルをつけました。藤川さんありがとうございました。以下本文

 

北村さんとの出会いは四半世紀以上さかのぼったある日のことです。
実は同じ職場で働いていました。
北村さんはライヴハウスを運営する部門でエンジニアをされたりライヴハウスの現場で働いておられました。一方でミュート・ビートやJAGATARAのメンバーとしても活躍されていました。
僕は、その会社が、雑誌をつくろうとしていた時のスタッフとして働いていたのですが、雑誌計画が頓挫したことにより、そこが始動させつつあったレーベル運営を手伝うことになりました。
レーベルの第一弾はピアニカ前田さんの「Just You Just Me」という7インチシングルでした。88年頃のことですが、実はその頃、ピアニカ前田さんはまだピアニカ前田という名前になっていなくてそのシングルで正式にピアニカ前田という名前になりました。一時期はピラニア前田にしようなどという話もありました。
北村さんや僕が働いていた会社のボスはとても面白い人で、何でも面白がっるところがあって、それがその会社の大きな原動力でした。ピアニカ前田さんを皮切りに、さかな、のなか悟空&人間国宝、苔のむすまで、フェダインといった初期のレーベルの顔ぶれも相当なものですが、コレ以降はレゲエやヒップホップやクラブ系のアーティスト、ピアニカ前田さんのシングルでもサウンドをしきっていた松竹谷清さん率いるトマトス、世界最大のジャケットを作ってしまい納品に難儀した遠藤賢司さん…それ以外にも本当にたくさんのアーティストを手がけました。
レーベルのサウンドとしてのカラーはバラバラだったかもしれませんが、レーベルのポリシーは、「面白いものは面白がって、何でも自分たちでやってみよう!」ということに尽きるような気がします。
北村さんは最初こそライヴハウスのスタッフでしたが、レーベルが立ち上がってからはレーベルの仕事も演奏はもちろん、エンジニア、アレンジャー、プロデューサーとして活躍されました。その頃の僕らにレーベル運営や音源制作のノウハウがふんだんにあったかというとそうではなかったのですが、知り合いなどから情報を得たりしつつ、とにかく自分たちでやったレーベルでした。
そんなレーベルから北村さんのシングルを出そうということになりました。会社のボスが「北村さんになんか出来ないすか? デモ作ってみてくんせー」といったのだと思います。それに対して上がってきた音が面白いものだったので7インチでリリースしようということになります。
そこで問題になったのが北村さんのアーティスト名をどうするか? ということです。じつは、このアーティスト名をどうするか? については、北村さんは関わっていなかったように記憶しています。会社のボスが「鍵盤弾きって言うとやっぱ有名なのはエマーソン・レイク&パーマーのキース・エマーソンっすよねー。だからキース・エマーソンから名前もらってエマーソン北村でいくっす」と勝手に決めちゃったのです。北村さんの本名は北村賢治ですから、キース・エマーソンから名前をもらうとしてもキース北村か賢治エマーソンのはずなのですが、そんなことはお構いなしに、勝手にエマーソン北村になっちゃったのです。ひどい話です。
ボスから、「藤川さん、エマーソンのプレス・リリース作ってくんせー。キース・エマーソンがでっかいシンセ弾いてる写真と北村さんの顔写真合成できないっすか?」というので、スキャナーで写真を読み込んで作りましたよ。それ以降は、北村さんは嫌がる素振りも見せずエマーソン北村です。
エマーソン北村として、自身のいくつかのソロ作や数多くのセッション参加を重ね、その知名度は僕がここで説明するまでもないわけですが、僕が今回くどくどと昔話をしたのには、北村さんの新作「遠近に」を聴いて、僕らが働いていたレーベル、ナツメグでの「面白いものは面白がって、何でも自分たちでやってみよう!」というイズムが流れているように感じたからです。こういうことをやってみたら面白いじゃないかと思うことを自分でやってしまう。「遠近に」を聴いて、そんなことを感じながら、長年演奏家として演奏を重ねてきた北村さんが「面白がってやってみたこと」が、とても素晴らしく、そして想像を超える作品だったことに僕はとても感動しているのです。何度も何度も聴いた「遠近に」は、北村さんが日本のジャッキー・ミットゥではなくて、世界のエマーソン北村だな、と教えてくれました。最高です。

 

再び北村です。なぜ僕がこのようにしてついた「エマーソン北村」という名前のままで来たか、実は自分でも上手く説明ができません。でも例えば曲を一曲作るとして、自分が想定した通りの音を全部入れれば良いかというとそうでもないですよね。自分の意図と違う方向に行く場合もある。その時「これは僕の意図じゃない」と主張するか「とりあえず流れにまかせてみるか」と思うか、僕は、本当により「頑固」なのは「後者」のタイプなのではないかと思うのです。そんなことを今考えてみました。繰り返し、藤川さんありがとうございました。