Column

2017.01.03 Tue

セルフプレビュー3「どこゆくの」

親戚の中には必ず「面白いので子供にはとても人気があるが、大人からはちょっと疎まれているおっさん」といった人物が一人いると思うのですが、みなさんのところではどうでしょうか?僕にも子供の時そんな人がいて、延々と続くしょーもない話を聞きながらネギ畑の間をついて回るのが好きでした。場所は滋賀県の琵琶湖のほとり、時は1960年代末 … 前作「遠近(おちこち)に」は何と言うか「人の写っていない風景写真」みたいだったので、次に作るものは少しは人間くさいものにしようと思い、この曲に関してはそんな設定をしてみたのです。
 
ドラムが、非常に難しかった。僕は根本的にはバンド演奏の人なので、ソロにおいてもバンド的なドラム・ベース・うわモノという発想で曲を作るのですが、その際ドラムの打ち込みを人間っぽく「しない」というのがひとつのこだわりです。やろうと思えばデータ上でいくらでも人間っぽいフィールは作れるのですが、逆にその方が人間の演奏を欲しくなり、寂しいものになると思っているから。しかしこの曲のように1980年代のレゲエにおける生ドラムのフレーズをリズムマシンで表現するとスカスカ感がものすごく、ややするとリズムが「止まって」聴こえてしまう。その意味では60年代や70年代の音楽の方がリズムマシンには移しやすいのだと、やってみて気づきました。
 
その上エマソロのルールである「アイデアのミックス」、この曲のもうひとつの音楽上のテーマは「もし、レイモンド・スコットやデリア・ダービシャーといった1950~60年代の電子音楽家がレゲエをやったら」というものでした。広い音楽世界の中で、かなり隅っこにあるテーマだと思うけど。。この曲を作っていた頃デリア・ダービシャーの「mattachin」という曲をよく聴いていて、それで「どこゆくの」にも、レゲエにはない、ふわふわしたシンセのシーケンス(手で弾いてる)が一曲を通して流れています。またキックやスネアの音色も「帰り道の本」と同様に Roland System-100M でゼロから作っています。メロディーはエマソロの定番楽器 YAMAHA DX100。ただしライブではこの楽器を使っていても、レコーディングのメロディーに使っているのは珍しい。レズリースピーカーも使わず完全に「ラインもの」だけで録音する曲は今までは少なかったのですが、この曲の質感は、マイクを使わなかったからこそ生まれたものだと、でき上がってから気がつきました。ピアノには、ハモンドオルガンには、ローズやウーリッツァといったエレピにも「生音」がある。シンセにはそういう意味での「生音」がありません。しかしそこで、例えばプラグイン的な方法でそれを「生音っぽく」することは僕は好きではありません。なぜならシンセの「生音」は、それを聴いた人の頭の中に届いてはじめてそこで生まれるものだと思っているからです。
 
この曲にははじめ、NRQの「ショーチャン」や浦朋恵の「ムサカさん」のようにそのおじさんの名前がついていたのですが、この曲はとめどもなく転調をくりかえしていて、自分で「どのキーに行くんだ?」と思ったこともあって、このタイトルに変更しました。もちろんおじさんに「話はいいけど、それで一体、どこゆくの?」と聞いた自分の言葉が、そのきっかけです。
 
Delia Derbyshire – Mattachin