Column

2014.08.26 Tue

コメンタリー: 9. ニワ

YOSSY Little Noise Weaver がものすごく良い、そして、曲の感じをすごく生かしたカバーをやってくれているのだ!YLNW / Tucker / エマーソンのライブではそうやって、互いの曲をカバーし合ったり参加し合ったり、有機的な音楽作りをしています。観て下さいね。
で、ニワというのは商家の表と裏をつなぐ土間のことで、生涯かけて日本人の住み方の膨大な記録を取った西山夘三さんの本にあって … みたいな話はまた MC に取っといて、ブライアン・イーノは、きっちりアンビエントしちゃう前の「Another Green World」くらいが一番好きなんすよー、という話。
エマソロの電子音楽度合いというのははなはだ中途半端なんだけど、実はアルバムを作るにあたっては、パッチシンセで延々インプロなんてのも録ってあったりする。結局それらを使わなかったのは、そういったテクノ通過後の電子音楽が持つ「自由」よりも、初期のシンセ音楽家達が譜面に書いた一音一音をシーケンサーに起こしてゆくような「不自由」さの方に、電子音楽の醍醐味を感じてしまうからなのだ。テクノ後のシンセ音楽で好きなのは Matmos の supreme balloon くらいかなあ。本当に「遠近(おちこち)に」の全体を通して、当初予想したよりもインプロや一期一会の要素は 少なくなった。ひょっとしたら、自分の力を出し切れない、こじんまりとしたアルバムになってしまっているのではないかと思うこともあった。本当のところはわからず、皆さんの感想を待つのみだが、今自分が一番心の動くやり方はインプロではなかった、としか言いようがない。
その代わり、ロングトーンのコードをシンセの VCA でゲートのように切る、と言った手間のかかる方法は使っている。僕らの世代のトラックメイカーでも、コンプのゲートでリフを作るくらいのことは、みんなやっていたのだ。
まあ言ったら、その方が「ニワ」(箱庭)な感じに、なるでしょ?
僕は超常現象は一切信じないが、子供のころ実家の店でぼんやりしていると、ニワの隅っこにはいろんな不思議なものが生きている気がしたものだ。電子音楽も、電子音に住むムクムクした命を見つけ出す作業。アンビエントだの感覚の拡大だのには興味がないが、その程度には、不思議なことを信じてる。
この曲におけるミックス: そんな曲でも、ベースはレゲエファウンデーションの「General」的なラインを織り込んでます!

2014.08.26 Tue

コメンタリー: 8. 王冠

ライジングのために帰った実家で、残してあるエレクトーンに触っていた。そうこのエレクトーンについているリズムボックスは既にサンプリングしてあって、「王冠」に使ったんだった。普段あまりにワングルーブの曲が多いので、JAGATARA じゃないけれど、ワングルーブだけどキメがあって、展開があって、という曲を作りたかったのだ。でも、リフの絡みでリズムを作る演奏は詰めてゆくとどうしてもクールになってゆくな、一人でもバンドでも。まあもともとこの曲のグルーブのイメージはちょっとバーチャルというか、エレクトーンを弾くアフリカ人アーティスト、フランシス・ベベイのように、自らを客観的に見た上で作っているグルーブというところがあるから、バンドで人間が産むグルーブとはちょっと違う感じに仕上がってもいいのかも知れない。だから、トーキング・ヘッズとか今でも有効なわけだよな。イミテーションの宝石が散りばめられた王冠のような ..,
と、いうようなことを制作時には考えていたことを、実家のエレクトーンに座りながら、思い出した。
まあそんなことを抜きにしても、かなり変わった制作方法で作っていることは間違いない。楽器のクレジットは、お客さんに手の内を見せるのは失礼という発想からしなかったけど、アルバム中でこの曲のみ YC-10、エゴラッピンの録音でも多用しているオルガン。個人的に好きなのは 808 のコンガの八分連打、で確か、808 の信号でサンプラーを鳴らすという、アナログの極みな方法でトラックを作ったと思う。アレシスのリズム音源をアナログ→MIDI の逆変換機として使えば、できるのだ。
というマニアックな話で終わってすいません。とにかく、コンピュータ上で揃えて完成、という作り方は、一曲もしていないのです。それはバンドのない自分の、せめてもの「熱」をこめるやり方なのです。

2014.08.21 Thu

エマーソン北村の誕生

藤川毅さんから、アルバム「遠近(おちこち)に」へのコメントをいただきました。と思ったらこれが素晴らしい!僕が自分から一度もまとめて公にしなかったインディーレーベル「ナツメグ」と「エマーソン」という名前との関係やそこでの僕(と藤川さん)の仕事について、本人以上によくまとめてくれてます!
最後はアルバムのことになってゆくのですが、この「コラム」コーナーの楽曲コメンタリーも丁度A面の終わりまで来たし、ゆっくり読んで欲しいのでここに載せます。僕が勝手に「エマーソン北村の誕生」というタイトルをつけました。藤川さんありがとうございました。以下本文

 

北村さんとの出会いは四半世紀以上さかのぼったある日のことです。
実は同じ職場で働いていました。
北村さんはライヴハウスを運営する部門でエンジニアをされたりライヴハウスの現場で働いておられました。一方でミュート・ビートやJAGATARAのメンバーとしても活躍されていました。
僕は、その会社が、雑誌をつくろうとしていた時のスタッフとして働いていたのですが、雑誌計画が頓挫したことにより、そこが始動させつつあったレーベル運営を手伝うことになりました。
レーベルの第一弾はピアニカ前田さんの「Just You Just Me」という7インチシングルでした。88年頃のことですが、実はその頃、ピアニカ前田さんはまだピアニカ前田という名前になっていなくてそのシングルで正式にピアニカ前田という名前になりました。一時期はピラニア前田にしようなどという話もありました。
北村さんや僕が働いていた会社のボスはとても面白い人で、何でも面白がっるところがあって、それがその会社の大きな原動力でした。ピアニカ前田さんを皮切りに、さかな、のなか悟空&人間国宝、苔のむすまで、フェダインといった初期のレーベルの顔ぶれも相当なものですが、コレ以降はレゲエやヒップホップやクラブ系のアーティスト、ピアニカ前田さんのシングルでもサウンドをしきっていた松竹谷清さん率いるトマトス、世界最大のジャケットを作ってしまい納品に難儀した遠藤賢司さん…それ以外にも本当にたくさんのアーティストを手がけました。
レーベルのサウンドとしてのカラーはバラバラだったかもしれませんが、レーベルのポリシーは、「面白いものは面白がって、何でも自分たちでやってみよう!」ということに尽きるような気がします。
北村さんは最初こそライヴハウスのスタッフでしたが、レーベルが立ち上がってからはレーベルの仕事も演奏はもちろん、エンジニア、アレンジャー、プロデューサーとして活躍されました。その頃の僕らにレーベル運営や音源制作のノウハウがふんだんにあったかというとそうではなかったのですが、知り合いなどから情報を得たりしつつ、とにかく自分たちでやったレーベルでした。
そんなレーベルから北村さんのシングルを出そうということになりました。会社のボスが「北村さんになんか出来ないすか? デモ作ってみてくんせー」といったのだと思います。それに対して上がってきた音が面白いものだったので7インチでリリースしようということになります。
そこで問題になったのが北村さんのアーティスト名をどうするか? ということです。じつは、このアーティスト名をどうするか? については、北村さんは関わっていなかったように記憶しています。会社のボスが「鍵盤弾きって言うとやっぱ有名なのはエマーソン・レイク&パーマーのキース・エマーソンっすよねー。だからキース・エマーソンから名前もらってエマーソン北村でいくっす」と勝手に決めちゃったのです。北村さんの本名は北村賢治ですから、キース・エマーソンから名前をもらうとしてもキース北村か賢治エマーソンのはずなのですが、そんなことはお構いなしに、勝手にエマーソン北村になっちゃったのです。ひどい話です。
ボスから、「藤川さん、エマーソンのプレス・リリース作ってくんせー。キース・エマーソンがでっかいシンセ弾いてる写真と北村さんの顔写真合成できないっすか?」というので、スキャナーで写真を読み込んで作りましたよ。それ以降は、北村さんは嫌がる素振りも見せずエマーソン北村です。
エマーソン北村として、自身のいくつかのソロ作や数多くのセッション参加を重ね、その知名度は僕がここで説明するまでもないわけですが、僕が今回くどくどと昔話をしたのには、北村さんの新作「遠近に」を聴いて、僕らが働いていたレーベル、ナツメグでの「面白いものは面白がって、何でも自分たちでやってみよう!」というイズムが流れているように感じたからです。こういうことをやってみたら面白いじゃないかと思うことを自分でやってしまう。「遠近に」を聴いて、そんなことを感じながら、長年演奏家として演奏を重ねてきた北村さんが「面白がってやってみたこと」が、とても素晴らしく、そして想像を超える作品だったことに僕はとても感動しているのです。何度も何度も聴いた「遠近に」は、北村さんが日本のジャッキー・ミットゥではなくて、世界のエマーソン北村だな、と教えてくれました。最高です。

 

再び北村です。なぜ僕がこのようにしてついた「エマーソン北村」という名前のままで来たか、実は自分でも上手く説明ができません。でも例えば曲を一曲作るとして、自分が想定した通りの音を全部入れれば良いかというとそうでもないですよね。自分の意図と違う方向に行く場合もある。その時「これは僕の意図じゃない」と主張するか「とりあえず流れにまかせてみるか」と思うか、僕は、本当により「頑固」なのは「後者」のタイプなのではないかと思うのです。そんなことを今考えてみました。繰り返し、藤川さんありがとうございました。

2014.08.05 Tue

コメンタリー:7. The Call-Up

このコメンタリーは2曲目から始まって、その後はアルバムの曲順通りに書いている。そして、ここでカバー曲が登場することになる!
イギリスのロッカー、イアン・デューリーがブロックヘッズに先だってやっていたバンド、キルバーン・アンド・ザ・ハイローズが1974年に録音したアルバム「Handsome」から。後のパンクやパブロックにつながるロックンロールなのにレゲエやカリプソ、’50年代のポップスやムードミュージックがふんだんに取り込まれていて、要は、もし北村が歌を歌えたらこういう音楽をやりたいと思わせる、ど真ん中のアルバムだ。イアン・デューリーの音楽が素晴らしいところはパーティー音楽であることを外さないのに、歌はどこか寂しげだったりするところ、言い換えれば、言葉に非常な重きを置いているのに言葉だけでは成り立たず、バンドのビートがあってはじめて伝わる言葉を書いていることだ。江戸アケミさんの the most favorite ヴォーカリストだったりもする(余計なことだが、JAGATARA のファンならばこういうところを押さえて欲しいのだ)。The Call-Up という題名も中心的な意味は「徴兵」だと思うが曲中ではいろんな意味が重なっていて英語と日本語を一対一では訳し切れない歌詞になっており、それがカリプソディスコに乗ってサックスが炸裂し、パンが受け、コーラスがまとめる、などなどなど、ああ素晴らしい。The Call-Up という題名自体は The Clash にもあったけど別曲ね。
北村のヴァージョンは素直に、そのオルガンヴァージョンをやったということ。このアルバム制作のかなり早い段階で、当時神楽坂にあったシアターイワトを使わせていただいて、オルガンをダビングした。オルガンは日本製のハモンド X-3。ハモンドオルガンのハードに関するオーソリティである山本力さんに長年面倒を見てもらっている楽器で、この曲ではなぜか予想以上に音が抜けたな。
トラックの方針は、16ビートとか知らないドラマーがパンパンに張ったスネアを叩くサウンドと、BOSS DR-110 という’80年代リズムマシンのサウンドの合体。イントロのキックがフェーダーで持ち上げられるというのはオリジナルへのオマージュで、マスタリングの際 M’s Disk の滝瀬さんにわがまま言って、やってもらった。

2014.08.02 Sat

コメンタリー : 6. トロント・ロック

カナダのトロントは’70年代の一時期にニューヨークに渡って活動していたジャマイカのミュージシャンらが ベトナム戦争に徴兵されるのを避けるために再移動していた街だ、という話をかつての「RM」誌で読んだことがある。ジャッキー・ミットーにもそこで録った「Reggae Magic」というアルバムがある。ただしこの曲はそのタイプの音を目指したわけではなく、時代感でいうなら’90年代の打ち込みレゲエ。
ニューヨークでもロンドンでも、ジャマイカから渡った彼等のスタジオは、台所に機材を並べたような文字通りの「宅録」スタジオ。しかしそこは僕らがいう「宅録」とは違って、自分達がその社会に打って出て行くための大事な足がかり。チープな機材(だと彼らは思ってないし)の打ち込みにどんな気持ちを込めていたのか。
ジャマイカ – トロント間にはまったく及ばないが、僕も子供のころは北海道と関西を頻繁に行き来していた。どこにいても「ルーツはここじゃないどこかにある」という感触が常にうっすらとある。そのせいではないと思うのだけど、「音楽に国境はない!」と声高に訴える音楽よりも、「国境は、ある。しかし否応なくそれに翻弄されてるうち、いつの間にか境界をこえて、こんな風になっちゃった」という音楽の方に、はるかに美しさを感じる。
シュガー・マイノットの打ち込みアルバムの裏ジャケに、やはりチープなスタジオで白人ミュージシャン(明らかに眼がいってる)とニッコニコで写っている写真があって、その感じが一番近い。
この曲には非レゲエネタもありますよ。上がったり下がったりするフレーズにハーモニーがつくことが好きで、その元はファッツ・ウォーラーの「Jitterbug Waltz」。またちゃんとカバーしたいな。