Column

2023.10.10 Tue

COVERS 2003(5)足鍵盤のオルガンについて

キーボードプレイヤーが一度に使う楽器の物量は以前に比べてすいぶん減った。電車の中などで、ギタリストと同じような姿でキーボードを背負っている高校生などを見かけると、なるほどと思う一方、自分がかつて「キーボード・マガジン」などで楽器の軽量化を主張したにもかかわらず、なんだか彼らの負担で効率化だけが進んでいるような感じもして、「本当にこれで良かったのかな」ともちょっと思ってしまう。

とはいえ、ライブの場などで何台かのキーボードを使い分けるケースは今でも多い。曲中で音色の違うパートを弾き分けるには、その分の数の鍵盤を揃えることがいちばん分かりやすいからだ。その場合、僕は「使われる何台かの楽器が、全体としてひとつの楽器として聴こえる」ように、注意してバランスをコントロールしている。これはキーボード奏者の中では特殊な方かもしれなくて、多くの人は、鍵盤のひとつひとつを良いバランスで弾くことには気をつけるけど、各々の楽器のバンド全体におけるバランスはそれを整えるべき人におまかせ、というやり方をとっているようだ(いや、よく分からない。こんな重要ことが、ミュージシャンという者には意外とわからない)。

僕が複数の楽器を全体でひとつの楽器ととらえる理由はいくつかあって、すべてのキーボードが別々のバランスを取ることですべての場面ではっきり聴こえるようになるよりも、一人の演奏する楽器群としてダイナミクスが一つにまとまることで、他の奏者の演奏と一緒になった時に、聴こえる時は聴こえ、埋もれる時は埋もれるようになった方が、バンド(のその日のショウ)全体のダイナミクスがより「リアル」になるのではと考えているのがその第一なのだけど、もっと背景的なことを言えば、僕がキーボード奏者として、ピアノではなくオルガン(電子オルガン)をルーツに持っていることがあると思う。

オルガンは、鍵盤が三段揃った状態が正式で、それぞれアッパー/ロワー/ペダルと呼ばれる。ペダルはいわゆる足鍵盤。なぜピアノは一段なのにオルガンは三段も必要なのかというと、オルガンは鍵盤を押さえただけでは音量も音色も変化がないので、例えばピアノではコードとメロディを同時に弾くときはタッチの変化でそれぞれに合った音量音色を表現するけど、オルガンではあらかじめメロディ用とコード用に作った音色を別々の鍵盤に振り分けておくことでしかそのバランスを表現できないから。それぞれの音色はオルガンの内部でひとつにまとめられてスピーカーなどに送られる。鍵盤がいくつあってもそれらは一つの楽器としてダイナミクスをコントロールするために使われる。これがオルガンの考え方で、その考え方を数台のキーボードに対しても拡げたのが、僕の発想のもとになっている。このことはあまり指摘されたことはないのだけど、唯一、UKのマンチェスターで mmm with エマーソンのライブを行った時、お客さんから「あなたのキーボードプレイはシンセを使っているけど、オルガンが基本ですよね」と正しく指摘された。さすがマンチェスター、音楽わかってる。

そんなわけで、僕は足鍵盤も普通に弾く。よく「足で鍵盤なんてすごいですねー」と言っていただくのだけど、僕にとっては自転車に乗るような感覚で、すごいことをやっている感じはない。ただよく誤解されるのだけど、足鍵盤は「ベース」とは違う。たぶんこの誤解はいわゆるオルガンジャズ、ベーシストがおらずオルガン奏者が低音の4ビートを弾きながらアドリブもする音楽をレコードで聴くことから始まったと思うのだけど、実はあれば足でなく、左手で弾いている場合がほとんどだ。ポピュラー音楽のオルガンにおいて足鍵盤が多く使われるのはそのような場面ではなく、例えば米国の野球場やスケート場で演奏されるようなイメージの、フルバンドを雇う余裕のないBGMとか、あるいはなんていうか、ちょっと演芸の雰囲気を伴った演奏(ほら、こんなにたくさんの鍵盤を弾いとります。足も使ってます!)など、「純粋じゃない音楽」の雰囲気がある。そしてそういう音楽、僕は結構嫌いじゃない。

そんな欧米のオルガン軽音楽における足鍵盤が「ベース」の代わりであると思われるようになったもう一つの理由は、日本独自のものである、電子オルガン教室にあると思う。僕も通ってました。足鍵盤をベース、下鍵盤をコードバッキング、上鍵盤をメロディとそれぞれバンドアレンジのパートに対応させる発想は、はっきりと「エレクトーン教室」のものだ。「エマソロ」のスタイルはある意味、そこで習ったことを教室の外の音楽へありえないほど拡げた結果であり、素直も度をこせば変わったものになってしまうということの見本なのかもしれない。(脱線ついでに、子供の時の少し恥ずかしい思い出でしかなかったヤマハ音楽教室については、音楽史・産業史の観点から客観的な研究がされているということを最近知って、「外からの」音楽の受容の過程という意味で自分の中に改めて置き場所ができる感じがした。いずれまた詳しく)

足鍵盤を弾いていて唯一難しいのは、レゲエのベースラインのような早いフレーズが弾けないことだ(当たり前だ)。そして自分にとってベースの動きというのは、アレンジの中で最も大事なものだ。COVERS 2003のレゲエ曲では、足鍵盤は「省略ヴァージョン」のベースラインを弾いていて、その残念さが以降のエマソロではベースラインを左手で弾くスタイルを増やした理由となった。しかしそうするとレコーディングではダビングを多用せざるを得ず、COVERS 2003のようなライブ録音(ライブショウではなく、いわゆる一発録りのこと)のシンプルさは減ってくる。ここがエマソロの悩みどころで、今でも解決法を誰かに教えてほしいと思っている。

2023.10.04 Wed

COVERS 2003 bandcamp とウエブショップでの予約を始めました

bandcamp
https://emersonkitamura.bandcamp.com/album/covers-2003
デジタル・ヴァイナルアルバムの Pre-order が可能です。

エマーソン北村ウエブショップ(BASE)
https://emkitamura.thebase.in/

現在、業務が立て込んでおります。申し訳ありませんが、ヴァイナルの発送はリリース日から二週間程度かかる可能性もございます。

全国のレコード店さんとそのオンラインショップでも予約を受け付けています。当方で把握しているお取り扱い店のリストはこちらにあります。合わせてよろしくお願いします。

2023.09.26 Tue

COVERS 2003(4)カヴァーを録音するということ

COVERS 2003 は全曲がカヴァーです。その理由は、当時それほどオリジナル曲を作っていなかったというのもありますが、やはり第一に、Jackie Mittoo を始めとするレゲエ・ロックステディのインスト(器楽演奏)の多くがその時代に流行った曲のカヴァーで、その「味」が僕にとっては何とも言えない良いものだからです。この好みだけは何年経っても変わりませんね。

ただし、僕の録音はストレートにロックステディインストをやっているわけではありません。6曲中の2曲は直接 Jackie Mittoo のカヴァーですが、それらを含めてどの曲もさまざまな要素、僕がその曲を録音するにあたってあちこち「想像の寄り道」をしたことが反映されています。ロックステディのミュージシャン達の作った音楽スタイルを尊敬してその鍵となる部分を押さえることは大事ですが、僕は、要素としてスタイルを踏襲すること以上に、彼らの音楽作りの姿勢そのものを尊敬して踏まえることの方が大事だと思ってます。彼らのカヴァーはコード付けも謎の部分があり、メロディも時に「うろ覚え」なんですが、それでなければ出せないグルーヴがあり、表したい気持ちがあります。それを単にキッチュなスタイルとしてマニアックに楽しむのか、それとも今ここで暮らしている我々の気持ちに訴える音楽作りに活かすのか、ミュージシャンとしての姿勢が大いに問われるポイントです。当然僕は後者をめざしていて、カヴァー曲のアレンジが、他人の知らない音楽知識の引き出しを誇示するようなものになるのは最悪だと思っています。

しかしながら、古今東西の音楽情報とその価値基準(リファレンス)にまみれて暮らしている今の我々ミュージシャンにとって、いくら Jackie Mittoo が “Theme from a Summer Place” を学校のピアノで弾いた瞬間のような気持ちになりたいと思っても(僕は本当に、真剣にその気持ちになりたいです)、今スタジオで同じアレンジで “Theme from a Summer Place” をやればそうなれるという訳もなく、ではどうしたらいいのか……というところから、「想像の寄り道」が始まるのです。

そんな「寄り道」ぐあいは時に、オリジナル曲よりもカヴァー曲の方がより分かりやすく現れるかもしれません。何と言ってもオリジナル曲には「自分が作った」という意識が重くのしかかっているので、それによって「寄り道」は見えづらくなっている場合があるからです。その意味ではカヴァー曲というものには、オリジナル曲よりもより「純粋に」音楽が表現されているのかも知れません。しかしそのことは、オリジナル曲を作ることの価値を下げるものでは全くないと思います。そもそも僕は、音楽に「絶対的な純粋さ」みたいなものをあまり求めません。今日これを言っておかないと自分がおかしくなりそうだからこんな曲ができちゃったというようなものは、いくら自意識にまみれていようと、「純粋」でなかろうと、かけがえのない音楽だと思っています。ようはそれをどう形にするか、人に伝えるかということが、ミュージシャンとして仕事をする上で最も大事なポイントになってくるのです。

2023.09.20 Wed

COVERS 2003(3)再リリースの意味

(前回からの続き)ひとつには、自分のバンド歴は常に「タイミングを外して」きたことの連続だったという思いがあります。’80年代の初頭から音楽ファンとしてレゲエやダブ、ニューウエーブに代表されるいろんなものがミックスされた音楽に浸って、その結果 JAGATARA や MUTE BEAT に参加したのですが、その時すでにそれらのバンドは数年の活動歴を持っていて、’90年代に入ってまもなくその活動を終えてしまいます。その二〜三年後、僕がライブハウスのスタッフとして全然自分の時間を持てない生活をしていた頃、僕が’80年代に浸っていた音楽は突如(と僕には思えた)、ヒップホップやダンスホールレゲエやスピリチュアルな「4つ打ち」、要するにクラブミュージックとして再び僕の前に現れ、さらにはそれをバンド演奏に取り入れる、年齢的には僕と同じくらいの仲間達が続々と生まれてきました。しかしその時……諸手をあげてそれらの動きに飛び込むには、僕はどうしても「それは既に一度やったこと」という意識から離れられなかったのです。結果的に、’90年代の「新しい」音楽にくみしながら、その「新しさ」の価値を、心から信じていたわけではなかったのかもしれません

’90年代の中盤〜末の音楽シーンにおける「新しい」ということの価値の大きさ、そのキラキラ感は、どんなに人の知らないことをやっても必ずそのリファレンスを見つけることが可能になってしまうような、現在の音楽を作る人が取り囲まれている状況からは、ちょっと想像できないものがあると思います。その中で僕が持っていた小さな違和感は、少なくとも自分にとっては、その後のエマソロを始める原動力のひとつになっているような気がします。そして COVERS 2003 に収録されている音源は、ちょうどその転換点あたりに録音されたのです。当時そんな意識は、ほとんどありませんでしたが。

もうひとつだけ言っておきたいのは、めちゃめちゃ普通な感想ですが、この音源、シンプルで良いんですよね。この録音が「ライブ」(いわゆる一発録り)で演奏されているということだけでなく、発想からアレンジから楽器から、それまでのバンド演奏では体験したことのない制約を感じながらやりたいことを落とし込んでいる、ある意味での切迫感が、そのシンプルさを支えていると思います。この音源の十年後に「遠近(おちこち)に」に始まるオリジナル曲中心のアルバムを作って、その時もまた別の切迫感があったんですが、今回 COVERS 2003 として収録されたトラックを聴くと、やはり普通にシンプルでいいなあと思うんです。そのへんを自分できれいに整理するのは、いつまで経っても難しいですね。

2023.09.17 Sun

COVERS 2003(2)オリジナルリリースについて

COVERS 2003 のオリジナルリリースである3枚の7インチシングルは、2003年の9月から11月にかけて、Small Circle of Friends のレーベルである basque から発売されました。魅力的な二人組である Small Circle of Friends は、当時僕がサポートしていた Hicksville やその周辺のバンド・ミュージシャンと一緒に「Holiday」というイベントを行っていて、都内だけでなく大阪にもツアーしました。心斎橋(!!)のクラブクアトロでイベントを行って、確か僕はライブの他にも開場時にオルガンによるBGM演奏をしたと思います。当然ながら今でも活発にライブやリリースを行っている彼らの活動にも、ぜひご注目ください。

この7インチシリーズを出した頃は、クラブミュージックというくくりでDJやトラックメイカーから提示される音楽が「新しい」ものとしてバンドシーンにも力を与える、という’90年代からの流れが、それまでに比べても一層拡がった頃だったと思います。しかしながら、COVERS 2003 に収録された=当時発売された7インチの曲たちに、当時の「先端」感はあまりないです。サンプリングもなく、エッジの効いた音作りもなく、リリース時点で「エマーソン北村」に期待されたと思われるサウンドよりは、ずいぶんパーソナルで、ざっくり言って「地味な」印象だったのではないかと思います。もちろん当時から、こういうサウンドを「ローファイ」な「質感」として特徴づける言い方もありましたが、それを狙って作っているのでないことは聴いていただければわかると思います。

当時の「先端」を目指して作られた曲たちだったら、今回 COVERS 2003 としてリリースされるにあたってもっと「古さ」を感じたかもしれないんですが、この数ヶ月リリースのために繰り返し音源を聴いていても、二十年前ではなくて数ヶ月前の録音と錯覚してしまう瞬間があるくらい、その辺はあやふやです。それを「オールタイム楽しめる良い音楽」と感じるか「時代感のない、つまらない音楽」と評価するかは聴く人それぞれで良いと思うのですが、なぜ僕の作るトラックはそうなるのか、自分なりに考えてみました。

今回の音源に限ったことでないのですが、僕の作る音楽には、常に「新しい・外からの音楽要素」と「自分自身の内にあるもの」との間の距離感というか、距離を測りたくて測れないような違和感が、常にあると思います。もっと簡単に言うと、「こういう風にやりたい!」と思う気持ちと「自分はなぜこうやりたいのか」という引っかかりとが常にせめぎ合ってしまう、ということです。

それにはいろんな理由があって、また機会があればもっと考えてみたいですが……(続く)

2023.09.14 Thu

COVERS 2003 について(1)2003年について

2023年10月11日(水)にリリースされる 僕の COVERS 2003 について、リリース日までの間、思いついたことを書いていこうと思います。試聴や購入の参考にしたり、聴いてからこれを読んでさらに楽しんでいただけたら。

まず、今回のカヴァー集を作った2003年ころ、僕は何をしていたかです。この時まだ「エマソロ」という言葉はありませんでした。これ以前にもエマーソン北村名義の一人録音音源はいくつかあるのですが、自分で曲を書き、制作からライブまでひとつの意思をもって進めるという意味での「ソロ活動」は、この時点では行っていませんでした。
「ミュージシャン」としてのエマーソン北村にはふたつの活動があって、ひとつは「エマソロ」やコラボ、つまり曲作りからリリースまで関わって進めるいわゆるアーティスト活動。それから、他の方の曲にキーボードで参加したりアレンジやプロデュースをする、通常の意味でのミュージシャンとしての活動。僕にとっては、割く時間のバランスはその時によっていろいろでも、このふたつはどちらがメインということなく、あくまで両方で「エマーソン北村」の活動をなしていると思っています。

COVERS 2003に収録された音源を作った2002~2003年頃は、今と比べれば他の方とセッションをする時間の方が圧倒的に多く、自分で曲を作るということもあまりなかったのですが、たまたま2002年に、後のエマソロにつながるような音楽の作り方と、他のアーティストの活動とが交差するようなできごとがありました。そのひとつは EGO-WRAPPIN’ のアルバム「Night Food」に、エゴのお二人と僕だけで演奏した「5月のクローバー」が収録されたこと。それから、UKのアーティストHERBERTのリミックスEPに(僕の場合はリミックスではなく再構築というか、要するにカヴァーですが)参加したことです。これらのトラックで僕は、今回のCOVERS 2003と同様、足鍵盤付きのオルガンとTR-808とで「一発録り」を行っています(そもそもなぜこのスタイルなのかということも、おいおい書きたいです)。

そんな流れが背景としてあって、翌2003年に「ソロ」の7インチを作ろうというお話が浮上してきました。次回はその、今回の収録トラックのオリジナルリリースである7インチについてです。

HERBERT “addiction” EP のステッカー。自分用の書き込みあり。

2023.08.01 Tue

リリースのお知らせ: COVERS 2003 を 10月11日に発売します

2023.01.16 Mon

2023年のはじまり、ライブ予定や参加作情報、ソロ情報を更新しました。

2022.08.17 Wed

POPEYE web にミニコラムを書かせていただきました。

POPEYE web の TOWN TALK というコーナーで、週一回・4週間に渡ってミニコラムを書かせていただいています。最初のコラムは8/17(水)にアップされました。
コラムのタイトルは「遠くの『現場』、近くのテープレコーダー」というもので、僕にとっての「現場」がさまざまに揺れ動く中、これまでにあったことを思い出したり、今時分が気になっていることを書いてゆくつもりです。

https://popeyemagazine.jp/
第1回はこちらです。
https://popeyemagazine.jp/post-125719/

2022.07.14 Thu

webちくま に原稿を書かせていただきました。

筑摩書房の読み物サイト「webちくま」で、「昨日、なに読んだ?」というコラムに文章を書かせていただきました。毎回さまざまな分野の方が自分の読んだ本を紹介するコーナーです。読者として長年楽しんでいる出版社のサイトに自分の文章が載るのは、とても嬉しく光栄です。

「レコーディングでいっぱいいっぱいの日々に開く本」というテーマにしたのですが、「音楽作りの合間にリフレッシュ」するための本ではなく、かといって今作っている音楽に直接参考となる本でもなく、なんだか「もやもや」とした頭の中のつながりに沿って浮かんでくる本を挙げました。それはやはり、音楽作りの「もやもや」とリンクしたものでもあるし、書いてみると、挙げた本とその順番自体も、「もやもや」としたひとつの繋がりになっていました。

ミュージシャンの挙げる本のイメージとはかけ離れたものばかりでしょうが笑、他の方の回で挙げられている本も興味のあるものばかりなので、ぜひ一度ご覧ください。

https://www.webchikuma.jp/

https://www.webchikuma.jp/articles/-/2838