Column

2017.01.14 Sat

セルフプレビュー4「スピニング・ホイール」

自分が書いた曲のアレンジは、どうしても保守的になりがちだ。「作った時の意図」のようなものが、思い切った変更を加えるのに邪魔をしてしまうからかなあ。それに比べてカヴァー(他人の書いた曲)は曲の意味を純粋に音として捉えやすいから、より自由な気持ちでアレンジすることができるかもしれない。「ロックンロールのはじまりは」もここから2曲、アレンジ面では「キャラ立ち」したカヴァーが続きます。
 
「スピニング・ホイール」(Spinning Wheel)はアメリカのバンド Blood, Sweat & Tears が 1969 年にリリースした曲。ブラスロックって言うのかな、当時のプログレッシブなロックのひとつだと思うけど、正直そのジャンルの音楽には詳しくない(名前がエマーソンなのに…)。ではなぜカヴァーしたかというと、年齢的に、リアルタイムで聴いたことのある最も古い曲のひとつだから。聴いた場所の記憶はおぼろげながら、上野駅の食堂。恒例の北海道→関西の移動途中だった。ただし歌入りではなくインストだったように思う。あるいは、このようなものだったかもしれない。当時はこのような曲が単なる「洋楽」として、結構普通に街中でかかっていたと思う。コード進行も面白くて、僕の中ではヘンリー・マンシーニの「小象の行進」とかと同じ記憶の引き出しに入っている。最近「Tinker Tailor Soldier Spy」という映画を観たら、その中でもこの曲が使われていた(ただし歌はサミー・デイヴィス・Jr.。ここでもまたカヴァーだ)。
 
それで、カヴァーするにあたっていろいろなリズムを試していたのだが(ほとんどの場合、アレンジの方針はリズムから)、突然「シャンガンエレクトロにしよう!」と思い立った。シャンガンエレクトロはアフリカのチープな打ち込み音楽で、イギリスの Honest Jons レーベルからコンピレーションが出ている、程度の知識しかないのだが、そのグルーブ感と文字通りの「速さ」、そしてそれで踊る動画のすごさで大きな印象を受けていた。改めて言うまでもないがカシオトーンによるジャマイカのリディム「スレンテン」から始まってインドネシアのポップス、そして韓国のポンチャック(これについてはTUCKERの素晴らしいレポートあり)まで、チープというか、きちんと言うと「安い機材の音を素晴らしいグルーブに読み替えることのできる人間のアイデアの力」は、真剣に尊敬している。DJ ではないバンド系のミュージシャンと会話していて「シャンガンエレクトロ好きでしょ」と言ってすぐに通じたのはneco眠るだけだったけど…
 
もうひとつの主人公はヤオヤ=TR-808だ。最近映画にもなったこのリズムマシンに最初に出会ったのは「暗黒大陸じゃがたら」の「南蛮渡来」だ。当時僕はまだ音楽をやるとも決めていない学生で、もちろん後でこのバンドに参加するなどとは思ってもいない。しかしニューウエーブ全盛の中で、英米のロックとは違う音楽に根ざしたダブやアフロで、機械的なスクエアなビートがグルーヴを生み出だせるということを知ったのは、このアルバム、このTR-808からだった。そこにはマーヴィン・ゲイの「Midnight Love」とは違うTR-808の使い方(このアルバムも素晴らしいが)があり、それは、機種は違うが(CR-78)細野さんの「シャンバラ通信」からの流れに通じるものだった。
 
誰からも指摘されないので自分で言うと、僕のスピニング・ホイールのカヴァーでは、有名なイントロのブラスのフレーズを、キーボードではなくTR-808にやってもらっている。僕はとにかくこの楽器の「コンガ」という音色が好きで好きで、自分の演奏よりもこのTR-808のコンガの音の方がこの曲においては大切だと思うくらいだ。大人買いならぬ「大人808コンガ」をやってみたかったという、ほぼそれだけの狙い…しかしちゃんと聴いていただくと、その他の部分においても、意外と原曲に忠実にアレンジしていることも、分かっていただけると思う。グルーブの中できちんと「埋もれることのできる」メロディーの演奏と音色も、自分にとってはとても大切な要素なのだ。
 
ベースは DX100。アルバム中最も上手く弾けているベースだと思う。メロディーは「帰り道の本」と同じHammond X-3。めまぐるしくリズムが変わるが、一曲を通してプログラムするのではなく、別々のパターンを作っておいて曲のその場所になったら手動でパターンを切り替えるという方法でレコーディングしている。これもまたリズムマシンに命を吹き込むひとつの方法だと思っている。

2017.01.03 Tue

セルフプレビュー3「どこゆくの」

親戚の中には必ず「面白いので子供にはとても人気があるが、大人からはちょっと疎まれているおっさん」といった人物が一人いると思うのですが、みなさんのところではどうでしょうか?僕にも子供の時そんな人がいて、延々と続くしょーもない話を聞きながらネギ畑の間をついて回るのが好きでした。場所は滋賀県の琵琶湖のほとり、時は1960年代末 … 前作「遠近(おちこち)に」は何と言うか「人の写っていない風景写真」みたいだったので、次に作るものは少しは人間くさいものにしようと思い、この曲に関してはそんな設定をしてみたのです。
 
ドラムが、非常に難しかった。僕は根本的にはバンド演奏の人なので、ソロにおいてもバンド的なドラム・ベース・うわモノという発想で曲を作るのですが、その際ドラムの打ち込みを人間っぽく「しない」というのがひとつのこだわりです。やろうと思えばデータ上でいくらでも人間っぽいフィールは作れるのですが、逆にその方が人間の演奏を欲しくなり、寂しいものになると思っているから。しかしこの曲のように1980年代のレゲエにおける生ドラムのフレーズをリズムマシンで表現するとスカスカ感がものすごく、ややするとリズムが「止まって」聴こえてしまう。その意味では60年代や70年代の音楽の方がリズムマシンには移しやすいのだと、やってみて気づきました。
 
その上エマソロのルールである「アイデアのミックス」、この曲のもうひとつの音楽上のテーマは「もし、レイモンド・スコットやデリア・ダービシャーといった1950~60年代の電子音楽家がレゲエをやったら」というものでした。広い音楽世界の中で、かなり隅っこにあるテーマだと思うけど。。この曲を作っていた頃デリア・ダービシャーの「mattachin」という曲をよく聴いていて、それで「どこゆくの」にも、レゲエにはない、ふわふわしたシンセのシーケンス(手で弾いてる)が一曲を通して流れています。またキックやスネアの音色も「帰り道の本」と同様に Roland System-100M でゼロから作っています。メロディーはエマソロの定番楽器 YAMAHA DX100。ただしライブではこの楽器を使っていても、レコーディングのメロディーに使っているのは珍しい。レズリースピーカーも使わず完全に「ラインもの」だけで録音する曲は今までは少なかったのですが、この曲の質感は、マイクを使わなかったからこそ生まれたものだと、でき上がってから気がつきました。ピアノには、ハモンドオルガンには、ローズやウーリッツァといったエレピにも「生音」がある。シンセにはそういう意味での「生音」がありません。しかしそこで、例えばプラグイン的な方法でそれを「生音っぽく」することは僕は好きではありません。なぜならシンセの「生音」は、それを聴いた人の頭の中に届いてはじめてそこで生まれるものだと思っているからです。
 
この曲にははじめ、NRQの「ショーチャン」や浦朋恵の「ムサカさん」のようにそのおじさんの名前がついていたのですが、この曲はとめどもなく転調をくりかえしていて、自分で「どのキーに行くんだ?」と思ったこともあって、このタイトルに変更しました。もちろんおじさんに「話はいいけど、それで一体、どこゆくの?」と聞いた自分の言葉が、そのきっかけです。
 
Delia Derbyshire – Mattachin
 

2016.12.23 Fri

セルフプレビュー2「帰り道の本」

最初、「遠近(おちこち)に」に続くリリースは「アナログか CD + 本」という形にしてみたいと思っていました。曲は少なく、スパッとした内容でひとまとまりのイメージが伝わるもの。
しかし、準備を進めるうちに、曲を増やしたくなり、特に「遠近(おちこち)に」にはなかった「転がりながら前へ進む」系の曲が欲しくて、いろいろやった結果、この曲ができました。
 
曲自体は前向きなものだけど、この間の世間や自分の周りの状況を反映してか、音の手触りはざらっとしたものになったと思います。
そしてこの頃(2016年の頭)から、自分の見るもの聴くものが「これ、ロックンロールのはじまりを指してるんじゃない?」という感じのすることが増えて、今の形のアルバムに至ったわけです。
 
「ロックンロールのはじまり」という言葉についてはCDの文章を読んでいただければ分りますが、決して明るいものではないです。「帰り道の本」は、僕の文章の中では「ロックンロールのはじまりは」と一種、対になって出てくるような、あるいはぐるっと回って元のところに戻ってきたような位置にあるかもしれません。
 
自分が一番基本にあると思うスカ/ロックステディ/初期レゲエといったリズムで曲を作ったのは前作の「新しい約束」と一緒ですが、今回はさらに、グルーヴの個性をつかさどる役割の(スネアでもキックでもなく)ハイハットとベースがより強く表現できたかなと思ってます。ハイハットはRoland System 100Mという、1976年に作られて発売時に新品で親に買ってもらって以来、ずっと現役で使っているシンセで作りました。
 
ジャッキー・ミットーの『Reggae Magic』という、彼がカナダに移住していた時に作られたアルバムが好きなのですが、リズム隊はレゲエのミュージシャンではないので、彼の作品として最初にオススメできるものではありません。『Macka Fat』とか、太いグルーヴとキャッチーなメロディーのアルバムを堪能した後で聴くべきアルバムですが、そのイージーリスニング具合は、やっぱり好きなんですよねえ。
 
イージーリスニングの一種=オルガンものとしてジャッキー・ミットーを聴くか、レゲエ/ロックステディのグルーブがあって成り立つ音楽が、その時代のトレンドとしてイージーリスニングを取りあげたのか … 僕は断然後者の見解に立っていますが、『Reggae Magic』においてその境界はどうでもよくて、カナダのミュージシャンの演奏、特にストリングスがすばらしく、そんなこともあってこの曲にはシンセのストリングスが入っているのです。
 
それ以外の音楽の要素としては(オリジナルな曲は必ず要素の「ミックス」によって成立するというのが僕の大事な考え方です)、アメリカのファンキージャズのトランペット奏者、リー・モーガンのライブのように、長尺で魅力的なコード進行がループしてゆく内に序々にテンションが上がってゆく、そんな曲をやりたいという目標もありました。なのでライブでは、この曲はもう少し長めにやってみたいと思っています。
 
この曲のオルガンはその世界だけで通用する用語で「メンフィス・スタイル」と呼ばれる、レズリーの回転が止まる/早い、の2モード(通常は遅く回転する/早い、の2モード)で録られているので、回転「止まる」の部分は歪んで広がりのない、ざらっとした音色になっています。この広がりの「ない」感じが僕のやりたかったことなのですが(今日びの、プラグイン等で作られるオルガン音色の価値観とは逆だと思います)、それはやはり、グルーヴのことを考えるとこういう感じになってしまうんですよね。それが上手く伝わっていたら、ありがたいと思います。
 
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2016.12.22 Thu

セルフプレビュー1「ロックンロールのはじまりは」

2016年12月発売の6曲入りアルバム「ロックンロールのはじまりは」。発売日の少し前から、自分自身による収録曲解説を書いてきました。一度公開した後、発売前にはネタバレを気にして書かなかったことなどを加え・修正して、ここに「セルフプレビュー」としてまとめておきます。自分が曲を作る上で何を参考にしていていたのか、その記録でもあります。映画DVDでは必ずコメンタリーを観る人、本を「あとがき」から読む人、ライナーノーツを読みながらレコードを聴くのが好きな方(実は僕自身はそれほどでもない)も、そうでない方も、どうぞ〜。
 
さて一曲目はタイトル曲「ロックンロールのはじまりは」です。ロックンロールをやっている訳でもロックンロールの始まりの音楽は何かについて示唆している訳でもないことは「solo」コーナーにも書いた通りです。
アイデアの原型をとどめてないから聴いても分からないかも知れませんが、レスター・ヤング(1930~40年代を中心に活動したアメリカのサックス奏者)&カンサス・シティ・シックスが演奏した「Way Down Yonder In New Orleans(遥かなるニューオリンズ)」のことをちょっと思って演奏しています。
1920~30年代の音楽がサイン波(一切の倍音を持たない音)で作られたら … というのは僕が常にする想像ですが、それをアナログシンセではなくYAMAHA DX100という’80年代の簡単なデジタルシンセでやっているのは、ギター一本の弾き語り(語らないけど)のようにあくまで「頭から終わりまで、つるっと」演奏できる音楽でありたいということでもあります。
 
しかしこの曲は何と言ってもノイズ。なぜかノイズ。アルバムの冒頭にこういう曲を持ってくるのは「遠近(おちこち)に」と同様で、まだ意味を持たない音そのものをまず聴きたいと思う気持ちからこうなるのかなあ。EGO-WRAPPIN’ 「merry merry」を一緒に作った時の影響もあるかもしれない。
 
ただ僕としてはノイズそのものよりも、それが実は、曲のはじまりに聴こえる丸い音と同じ音色を操作して生まれているところを強調したい。サイン波からノイズまで、DX100 を操作しながら一気に、ワンテイクで録っていて、シンセやオルガンを足しているものの、このワンテイクがこの曲のほとんどの部分なのです。
 
ノイズも「ノイズ」という波形ではなく、サンプル&ホールドという機能を非常に高いレートにしたものを使ってます。この「プログラムしない」というのは、エマソロをやる上で自分にとって大事なガイドラインになっていると思います。。それ以外に「遥かなるニューオリンズ」から抽象画のようなノイズまでを、心の中で一気に移動する手段は、ないからです。
 
 
ちょっとだけ、実際にロックンロールの始まりは何かということについてですが、リズム・アンド・ブルースとカントリーが融合して云々というシンプルな説の他に、いやジャンプジャズやジャイブが、いや歌詞が身近なことを歌うようになって、などいろんな議論があるみたいです。特に僕が面白いと思うのはラテンの影響が指摘されることです。それまでハネる(シャッフル、スゥイング)のが普通だったアメリカのポップミュージックの演奏に対して、ミュージシャンがタテ(八分音符を常に同じ長さで弾く)に演奏できるようになったのはやはりラテンからの影響なのではと思います。実際自分がピアノの八分音符を演奏する時も、二拍目四拍目のバックビートとスリーツーな取り方の中間くらいの感じでやるのが一番ロックンロールっぽくできる気がします。しかし、そういった「音楽史的な正しさ」については僕は特別何か言えるわけでもないし、それを決めることは自分が今必要としていることでもありません。
 

2016.12.14 Wed

発売日です。

2016年12月14日、「ロックンロールのはじまりは」発売されます!発売日に合わせてtwitterで発言したコメントがあるので、載せておきます。
 
「ロックンロールのはじまりは」明日発売です。よくソロだから自分の「意図の通りに」作っていると思われるけど実際は反対で、はっきりと分からないイメージに押されて「表現させられている」という方がしっくりくる感じ。自分の意図は目の前の選択肢にだけ有効で、そこで問われるのは「意図」よりも、選択を繰り返す「意志」かもしれない。そしてリリースの後、曲たちはすっかり違う聴こえ方になって、僕の「意図」など忘れたように新しいことを教えてくれる。集団の場合はミュージシャン同志のやりとりでできる発見が、ソロにはない、というかその発見は聴く人に託されている。だから、ぜひ、いろんな感想を持って、僕に教えてください!
 
それからひとつ、本作の「長さ」のことですが、正直、短いです。しかし今回、テキストも含めて一つのイメージに沿ったものにしたくて、それと合わない曲は落としたりした結果の、長さです。アルバムでもミニアルバムでも構いませんが自分はそういう意味で「6曲入りアルバム」と呼んでいます。リリースというのはホントにいい言葉で、自分の「意図」から解放された曲たちが、聴く人のところに行って完成しては、帰ってくるイメージ。自分が驚く展開を待っています。「ロックンロールのはじまりは」よろしくお願いします!
 

2016.11.30 Wed

コメンタリー:1. 時の話

「遠近(おちこち)に」の曲解説は一曲目だけを残しておいたが、最後の解説は次の作品がリリースされる時にしようと思っていた。「ロックンロールのはじまりは」のリリースが間近になった今、やっとこの「コメンタリー」シリーズを締めることができる。
 
「知らない家」のところでも書いた高野文子さんの漫画の中で一番好きなのが『棒がいっぽん』(大関泰幸監督によるスカートのMVにも出てきましたね)所収の「奥村さんのお茄子」で、そのテーマはあえて言葉にすれば「時間を隔てたどの一瞬とも、現在は繋がっている」ということになると思うけど、これは僭越ながらエマソロの全体を通していつも僕が表したいと思っていることでもある。ただまあエマソロの場合その言葉は「現在」よりも「隔たり」の方により重点が置かれている気もするけど(「奥村さんのお茄子」も同様か)。
 
今年(2016)でちょうど僕は松永孝義さんが亡くなった時の年齢になったけど、ヘヴィな低音のイメージのある松永さんの亡くなった時に僕がふと浮かべたイメージはなぜかそれとは全く逆で、ぜんぜん低音のないループが高い方へと繰り返し上っていくような、ふわふわ・きらきらしたものだった。ベースはバンドのパートの中で一番「時」を操れる楽器だから、そんな風に自分でイメージを作りたかったのかも知れない。
 
全く違う話になるがイギリスのドラマ(映画?)に『Stuart: A Life Backwards』というものがありその作品自体もとても良いのだが、「backwards」つまり時を遡って物語を進めてゆく方法、もちろんそれ自体はそう珍しくはないが、ものごとを backwards に語るということがなぜかずっと頭にあって、こんな曲のタイトルになったのだった。
 
「遠近(おちこち)に」ができて、エマソロの方向性が良くも悪くも絞られてゆく中で、一番聴いていたものがTrojanの名スカ以前/スカ/ロックステディコンピであるアナログ三枚組の『The Trojan Story』と、イギリスの BBC Radiophonic Workshop で1960年代に活躍した電子音楽家 デリア・ダービシャー(ただしこの方の音源は盤ではなくデータでしか持っていない。盤を買いたい〜)の2アイテムという、めちゃくちゃな組み合わせだった。もちろん理屈をつければレゲエは録音技術だけで言ったらブリティッシュ・サウンドのマナーに基づいているから、関連があると言えばあるけど、それよりもデリア・ダービシャーの音の、ふわふわしているのに時たま容赦なく現われるノイズのざらざらした感じが、こちらは長年接している初期ジャマイカ音楽のざらざら・ぴちっとした感じと、グルーブの違いがありながらも自分の中では並行して流れることができるような気がしたのだ。
 
そういうわけで「時の話」は「ロックンロールのはじまりは」に繋がっていったのだけど、「時の話」は僕の中では決してアバンギャルドな曲ではない。最後のコードはメジャーの6度だし、本当はちょっとたそがれて終わるような楽曲になっていると思っている。それも録音が終わり、ツアーで何度もこの曲をやってみて初めて気がついたことだけど。
 
しかしますます時を backwards に進めることになじんでくる年齢になって、それを表現することにはより優れたやり方を求められますよね。広瀬正「マイナス・ゼロ」のように、遡るのはお気楽にできても、前に進めるのは生涯をかけてやらなければいけないわけですからね。

2016.10.10 Mon

エマソロの新作「ロックンロールのはじまりは」2016年12月14日リリース!

エマーソン北村ソロ作品「ロックンロールのはじまりは」を2016年12月14日にリリースします。

Emerson Solo のページに詳しくアップしてゆきます。
主な内容はこちらからもリンクを貼っておきます。
 
アルバムのトータルな紹介、ジャケットデザインについてなど
http://www.emersonkitamura.com/solo/2016/10/204
購入方法
http://www.emersonkitamura.com/solo/2016/11/346
MVについて
http://www.emersonkitamura.com/solo/2016/12/366
フライヤについて
http://www.emersonkitamura.com/solo/2016/11/309

2014.10.31 Fri

コメンタリー: 14. 両大師橋の犬

 アルバムの終り方で好きなものは細野晴臣さんの「はらいそ」。足音を立てて去りかけた細野さんが急いで戻ってきては「次はモアベターよ!」と宣言する。
 上野の両大師橋、今は何の変哲もない橋だけど、昭和戦前に桑原甲子雄さんは自分の家の近くのこの橋でたくさんの写真を撮っている。そもそもは「一銭五厘たちの横丁」という本がきっかけだった。戦前の上野で暮らしていた人々の記念写真のその後を追うことで、その後彼らが体験する戦争と空襲の歴史を丁寧に描いて、声高に訴える部分はまったくないのに反戦の意志がしっかり伝わってくる、すばらしい本だった。その写真が桑原さんのもので、そこからご本人の写真集へと進み、犬を散歩させている子供の写真に自分の影が移り込んでいるカットに出会ったのだった(桑原さんの写真の中では、とりたてて有名ではないのかも知れない。近年出版された写真集にこの写真は収録されていない)。
 で、音楽のこと。「イチ・ロク・ニ・ゴー」という基本中の基本のコード進行と自分が一番好きなシャッフルスカのビートで曲を作るという、ある意味危険きわまりないことをやったわけだ。キセル兄と話したこともあるけど、シンプルなモノには惹かれるだけに、どんなオルタナな音楽を作るよりも難しい部分があるのだ。リズムマシンにはスカのパターンはやらせず、Roland System 100 で作った、シンセ的には一分で作れる「ピュン」音だけに電子音楽の心意気をこめて、トラックを作った。
 自分にはどうしても整理してしまうクセがあり、正しいコードの音、正しいタイミングのリズムにメロディーも演奏も押し込めてしまうところがある。本当はもっとグダグダで、自分勝手で人に迷惑もかけ、わーっと泣いたり怒ったりする気持ちを表したいのだが、できあがるとなぜか折り目正しくなっている。まあでもそこも自分なのかなあとも思う。センエツながら桑原さんの写真が好きな理由もそこだし。
 ネタをひとつばらします。エンディングのベースラインは、松永さんがリハの休憩時間などでよく弾いていたフレーズ。元は ink spots なのか何なのか、ニヤニヤしながらブルースやこういった小唄系の、楽器を始めた初日にコピーするようなフレーズをギャグとして演奏していたが、実はすごく良い音だったのだ。それを曲に折り込むという私情?をはさませてもらって、アルバムを終えました。
 先日渋谷クアトロのリリースイベントでは、スガちゃん(菅沼雄太)に言わせると「人力では無理な、中途半端なテンポ」らしいこの曲(ホメてくれてるんだと思う)に、お客さんは手拍子をしてくれました。そのビートに送られて松永さんは足音を立てて去り、えーっと、どうやって戻ってくるのでしょうか。やっぱり僕らも「次はモアベターよ」と言い続けなければならないのです、きっと。

2014.09.13 Sat

コメンタリー: 13. 夜中

こんばんは。秋らしくなってきましたね。
この全曲コメンタリーもかなりの所まで来た。このコラムはマニアック解禁にしているので読みづらい方には申し訳ないと思っているが、「読んでます」と感想を下さる方もいて、力づけられる。ありがとうございます。
 
普段は「自分はオルガンプレイヤーすから」とピアノにはあまり興味ないふりをしているが、実は、ピアノ、すごく好きだ。人から習ったことがないことでどことなく引け目を感じているが、高校生のころはピアノのあるところに行って個人練していたこともある。
その頃どんなのが好きだったかと言うと、モンクは別格として、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の African Piano。練習したな。実はいわゆるワールド・ミュージックへの接近ルートとして、パンク→レゲエという道のりの他に、このような(オルタナティブな)ジャズ→各国音楽、というルートも、自分にはある。むしろこっちの方が自分にとっては古く、より自分自身に近かったりする。
でも、「夜中」のような曲の方が、スリーコード・定型小節数のロックよりも、曲にかかってくる重層性という点では、簡単だとも言える。いろんな人がいろんなトライを重ねてきたポップやロックにそのフォーマットでもう一曲足すことの方が、フォーマットから「自由」になった曲を作るよりも、闘わなければならない相手の蓄積は余程大きく、むづかしい。
それでもね、出ちゃうんだこういう曲が。モンクの「Crepuscule with Nellie」には遠く及ばないが、そういうボローンとした、暖かくかつ空虚、みたいなものは、どうしても基本にある。そして僕の場合は、ピアノにローランドの System 100(Mじゃない) を足したくなる。この二つこそ、僕にとっては「最高のテクノ楽器」だからだ。あ、KORG のアナログディレイも。
曲後半の部分は、何度も試しているリフの、一断片。「遠近(おちこち)に」初回特典の「エマソロ・ライブサンプラー」に収録されているパリのカフェでのインプロも、その一つのバリエーション。今回アルバムではインプロを収録するという発想を捨てたため譜面で書ける内容になっているが、ライブにはこれとは別のオチの付け方があるはずと、思っている。

2014.09.09 Tue

コメンタリー: 12. I’ve Grown Accustomed to Her Face

アルバムを作っている時は後半の曲が地味かなあ〜と思っていたのだが、自分の周りの感想では後半の評価が高い。ありがたいことだが、こういうことは絶対に自分一人では予想できないなあ〜。
エマソロの楽器には二種類のパターンがあって、今では YAMAHA DX100 というミニシンセでライブすることも多くなったが元々はオルガンを弾くのがエマソロだった(だからDX100も2台並べている)。アルバムも初期には全曲オルガンでいこうと思っていた。この曲はその時期に録ったものでアルバム中最も古く、2009年の夏。シアターイワトは劇団黒テント(高校生の頃観てた)が拠点として維持していた劇場で、以前は多分倉庫か商家だったものを改造したのだと思う。かねてから自分の理想のスタジオというのがあって、それはあまり創作の場っていう感じがなくて、地元の商店やら町工場みたいな場所というイメージなので、ぴったりだったのだ。実際録ってみると残響の多さに苦労したが、それもそもそも狙っていたことなので、録れたものを落ち着いて聴いてみて、これでいいじゃんということになった。この曲はミックスすらしていない。ラフミックスそのままで、どうしてもこれを超えるミックスが作れなかったのだ。
親の話では6才ころ、楽器店のショーウインドウにあったヤマハエレクトーンに触りたがったというのが、僕のオルガン歴の始まりだ。エマソロのイージーリスニング感はそこから生まれているから、オルガンにしてもジミー・スミスやキース・エマーソン(笑)のようなゴリっとしたものよりもビル・ドゲットやワイルド・ビル・デイビスのようなイナタイもの、あるいはルー・ベネットやローダ・スコットのフランス録音のような、手回しオルガンからの連続をちゃんと感じられる音の方が好きだ。(一番好きなオルガンプレイヤーはフランスのエディ・ルイスだがその話はまた別に)それで「ステレオでなくモノ」「部屋鳴りによるリバーブ」という、この曲の録音方針ができた。一見逆のようだが、僕はオルガンには機種のこだわりが全くない。つきつめればオルガンはサイン派発生器の集合体、ある意味では最高のテクノ楽器だと思っているので、例えば逆に DX7 は立派にオルガンだと思っている。楽器の音色自体には情感が乏しくて、そんな音色で情感を出せる演奏をすること、なぜかそこにはこだわりを持っている。さらに、そのことを、神楽坂の元倉庫の劇場で録りたかったのだ。こだわってるのかこだわってないのか、自分でもめんどくさいな〜と思う…
アルバムレコーディングの後半になって、もう何度かシアターイワトを使わせていただいたいと思ったがその時にはもうなかった。でも平野さん、ありがとうございました。
それで、曲のこと。ミュージカル映画は大好きだがこの曲が入っている「マイ・フェア・レディ」はそんなに好きではない。斉藤和義さんのコメントにもあるように、ウエス・モンゴメリーのライブアルバム「Full house」収録曲の方がきっかけだ。実はいろんなアレンジでずっとやっていて、いつまでたってもベストのアレンジが見つからなかった。ここでひとつの結果を見たような気がするが、それは一番「普通のオルガン演奏をする」というものだった。