Column

2020.06.05 Fri

CHASING GIANTS セルフレビュー (3) 街のあいだ -欠けたもののこと-

この曲ではいろんなものが欠けている。演奏的には楽になっても余分な要素は曲に入れない、という方針はmmm with エマーソンだけでなく僕の関わるものの多くに共通しているが、それは僕が、そもそも音楽というものは、どこか「欠けた」人のためのものだと思っているからかもしれない。

第一の「欠けている」要素は、もちろん歌詞の内容だ。この曲を作った頃は渋谷の街区の取り壊しが多かった時期で、たまたま同じ頃に抜いた親知らずの感覚と、なくなったビルの感触が重なっていた。そんなことを思いながら骨子となるリフと歌詞に関するキーワードをmmmに送ると、メロディのアイデアが返ってきた。そうやってやりとりしながら徐々に、今ある曲の形を作っていった。

第二に、人間味に「欠ける」そのリフのこと。自分で言うのも何だが、多くの人がエマーソンの演奏の特徴として思い浮かべるのは、このリフのような「機械的なフレーズを、機械を使わずに弾く」ことではないだろうか。なぜ手弾きなのか?打ち込みを使わないならもっと「自然な」フレーズを弾けばいいのでは?こんな質問が出るのも当然だと思うが、ひとつには、僕がミュージシャン界に入った1980年代後半には「機械のように正確に」演奏できることが「売れる」ミュージシャンの必要条件だったということがある。僕は当時の「売れてる」音楽はくだらないと思いながらも、何とか「売れ」ようと必死にクリック練習(拍を刻むガイドに合わせて練習すること)をした。その経験が否応なく、自分の演奏には残っている。
今になって思えば、「ジャスト」がもてはやされた1980年代には、自由なタイミング編集が可能になった現在に比べて、正確ということがまだそれほど当たり前ではなかったのかもしれない。当時のMIDI機材の精度に比べれば、1970年代以前のアナログシーケンサーやテープループで作られた音楽の方が、タイミングの正確さでははるかに「本物」である(そして最近復活している)。それらの音楽がポップスの一スタイルに使われるようになる過程で、ラボにこもって数分の一秒のループに何日もかけるようなものから「売れる」ミュージシャンの必須科目へと、作り手の中での「時間」の凝縮のしかたも変化してきた。そんな「タイミング」に対する理想とあやふやさとを、僕の「手」は表していると思う時がある。

ところで僕が当時出会った音楽には、そういった流れとはまったく別の意味で「機械的」な要素を持つものがもう一つあった。レゲエ、サルサ、アフロビート。打楽器であろうがコード楽器や管楽器であろうが、ひとつひとつのフレーズはパターン化され、「機械的」な正確さで繰り返される。しかしそれらが組み合わさって全体を形づくった時、ものすごい揺れと感情が生まれる。しかもそれはポップだった。何より、人力で演奏されている。

ループミュージック、ルーツミュージック、そしてニューウエーブ、これらの音楽にずっと引っ張られながら、しかもどれにも属さない・属せないミュージシャンとして僕は活動してきた。「パターン」とか「ジャスト」といった問題に対して僕の価値観は常に、疑問を投げかけられ続けてきた。僕のタイミングマニアぶりはそんなことで成り立っているのだと思う。だからこの曲のリフのような要素は、「じゃあこの曲にはこれ使おうか」という風に自由に選ぶことのできるものではない。自分について回っているものなのだ。

三つ目に「欠けている」ものは、僕の音楽で大事な要素である「ベース」だ。普段は僕が左手で弾くことの多いベースというか低音パートは、mmmのギターが担当している。歌い手が自分で弾くこういうギターはすごくいい。mmmはベーシストでもあるが、あえてこの曲ではベースでないのがいい。いうまでもなくYoung Marble Giants的でもあるし、アフロビートのテナーギターのようでもある。
ただしライブでは、ベースのないことは音量感のなさにつながる。他の曲と並べると、テンポはあるのに音量がかせげない。だからリハでは何度もベースを加えようと試したのだが、その度に断念した。何かが違うのだ。「欠け」を埋めると別の「欠け」が見つかり、そのすべてを埋めるまで試行錯誤を続け、最終的に、つまらないものになる。これを僕は「ライブ音量症候群」と勝手に呼んでいる。録音や配信では曲ごとにトータルの音量が変えられるが、ライブではその日の最大音量はセットリストの中で一回あるだけだ。だから一つのショウの中でいかに「音量を下げられる」かがライブ演奏の醍醐味なのだが、ライブというものは何度もやっていると、その辺の感覚がまひしてくる。それに抗したくて、今でもレコーディングのままのバランスでこの曲を演奏している。

最近この曲には、mmmが激しいギターソロを弾くパートを加えてみた。これもまた音響的にはアンバランスなものだが、僕は結構、このデュオらしくて気に入っている。

この曲を作った頃にはたくさん欠けていた渋谷の街も、気がつくと随分いろんなものに埋められている。その多くは自分から遠く離れた、見ても冷たい気持ちにしかならないものだ。

逆にとても嬉しかったことは、ライブ物販で会った人に「街のあいだDJでめっちゃかけてます」と言われたことだ。CHASING GIANTSは多くの方にとてもいい聴き方をしていただいていることを、いろんな機会に実感しています。