Column

2019.04.11 Thu

ナイロビ旅行記(1)ツアー概要、毎日の往復

<ツアー概要>
 
2019年2月末から3月上旬にかけて、ケニア・ナイロビに行ってきた。普通のケニア旅行ならば、サファリ(これ自体がスワヒリ語で旅行という意味)をして野生動物を見て、というのが定番コースだろうが、僕は十数日の滞在中にライオンにもサイにもキリンにも会わなかった。市内にあるナイロビ国立公園の脇を車で走りながら夕刻にダチョウを一度見かけたきりで、他に会った動物は滞在したお宅の犬と猫たち、それから部屋の壁にずっといたヤモリくらいだった。
京都を中心に活動するユニット、ふちがみとふなとと僕は「と」を一個増やした名前で2015年からライブを続けている。夏の西院フェス・冬のアバンギルドというのが定例だ。2016年アバンギルドでの「ある冬の夜に」にいらして、声をかけてくださったのがMari Endoさんだ。彼女は夫のOtiさんと共にナイロビに住み、美術を中心にケニアと日本のさまざまな文化交流をコーディネートしている。ご自身も版画を制作される。
日本語を大切にした音楽からすぐには想像できないが、ふちがみとふなとは1980年代後半、それぞれがアフリカ放浪の旅をしている時に現地で出会い、日本に戻ってきてからユニットを結成した経歴を持つ。Mariさんはその頃からのふちがみさんの友人でもあり、彼らはすでに2016年に第一回の「Homecoming(今回のイベントのタイトル)」を行っていた。第二回に向けて参加アーティストを増やすべく、名前が挙がったのが僕だった。Mariさんはすぐにでも第二回のイベントを開催したかったのだが、その後ケニアでは大統領選に伴って政治・治安のなりゆきが不透明になったため時間がかかり、ようやく今回のスケジュールを決められたのが2018年の春だった。
 
ツアーの概要は、2019年3月2日(土)日本大使館内のJapan Information & Culture Centre(広報文化センター)ホールでのライブ、3月3日(日)日本人が経営するカフェChekafeでのライブ、そしてふちがみとふなとが帰国した後の3月9日(土)ナイロビに隣接したキアンブ(Kiambu)という地域にあるカフェThe GOAT Social Clubでの僕単独のライブ(エマソロライブ)を行うというもの。その他に、市内のレコーディングスタジオSupersonic Africaでのセッションも行った。このうちChekafeでのライブと後に記すもう一件の企画については、いろいろ深い経験をさせてくれた紆余曲折があるのだが、とにかくも予定されたすべての活動を好評の内に終えることができた。
 
<滞在したお宅>
 
滞在させていただいたMariさんとOtiさんのお宅は、ナイロビ中心部から30kmほど離れた住宅地にある。平屋だが美しいお宅で、敷地の半分は庭だろうか。お宅の周りにはその後ナイロビでよく見かけることになる木肌の白い木(名前は何だろう)が立ち、庭にはハイビスカスやパッションフルーツが植えられていた。家の中は石の床になっていてとても涼しく、お手伝いのVeronicaさんが毎日モップで水拭きするから、とても清潔だ(言っておくが彼らは我々と比べて特別にリッチというわけではない)。公営の水道は止まったり、不当に高い料金を請求されたりするので使わず、5,000リットルの水タンクを庭に設置して民間の会社から月に約一回配達してもらい、トイレなどには別の雨水タンクの水を使い、そして飲料水は買っているそうだ(スーパーでは20リットルの大きなペットボトルに詰め替えで水を売っていた)。水道民営化後の日本を見るようだが、道でも大量の水タンクをバイクにくくりつけて運ぶ人を始終見かける。「水は、問題」がOtiさんの口癖のひとつだ。そんな苦労を知らない僕には、Mari-Oti家の滞在はとても快適。朝7時に明るくなると同時に聴こえる鳥の声で目を覚まし、ごはんを食べてでかけて、夜は時差(6時間遅い)の関係もあって早めに寝る、というありえないほど規則正しい生活をした。後半は結構乱れたけど。
 
<毎日の往復>
 
Mari-Oti宅とナイロビ中心部を往復する車から見る景色が僕の初めての、そして最も多く目にしたケニアの風景となった。上手く行けば40分、渋滞すると3時間。コンテナを積んだ長距離トラックやバスには思い思いの塗装がされていて、見ていて飽きない。途中何カ所かで、トタン屋根の小さな店が増えたと思ったら、道ばたに大勢の人が集まっている。荷物を持った人、手ぶらのひと、普段着の人、派手な服のひと、本当にいろんな人が何をするでもなく立っている。この後ナイロビのいたるところで、時間帯を問わずこの「人が集まってただ立っている」のを見るのだが、この風景は僕にとってアフリカそのものと言ってもよいほど印象に残っている。実は、ここは地域の交通の要所であり、人々はマタトゥ(中古の日本車を改造して小型バス化したヴァン)や、映画「マッドマックス」のように布で顔を覆ったバイカーが運転するタクシーバイク(二人乗り、時には三人乗りする)を待っているのだ。「何をするでもない」と見えたのは僕の側に彼らを「見る」状態がなかったからで、日が経ってすこし僕と彼らの時間の流れ方が「同期」してくると、彼らはドライバーと交渉したり、物を運んだり、おしゃべりしたり、誰もが自分のことを普通に行っていて、本当の日常の時間がそこにあるのだと分かってきた(たまに、本当に何もしてない人もいる)。日本に戻ってきてナイロビの記憶も薄れたなあと思っていたある日、大勢の人が同じ方向へ一斉に歩いているから何事かと思ったら、ただの通勤ラッシュだった。その行動が不思議に思えるくらい「ただ立っている人々」は知らないうちに僕に強い印象を与えていたのだ。
 
ナイロビから30km離れればかつては都会ではなかっただろうが、今やこの幹線道路沿いは、完全に普通の郊外である。セメント工場、鉄工所、SGR(ナイロビーモンバサ間を結ぶ、中国資本によって作られた最新鉄道)の高架、遠くにはきれいに並んだマンション群まで見える。沿道にある巨大ショッピングモールは、完全に「イオンモール」だ(人工の滝まである内部は、それ以上かも)。しかしそのすぐそばで、牛の群れを連れた人がいたり、畑で働く人がいる。そして、日本で言えば国道級の道なのに、人が思い思いに横断する。道沿いを歩いている人も、車との距離がすごく近い。そして意外に、トラブルにならない。渡る方も渡られる方も、ぎりぎりのところで上手に避けてゆく。この「ぎりぎりでトラブルにしない力」も、後々身をもって感じることになる。
 
あと、車の窓から見えたもので(なにせ、これが僕のナイロビにおける基本のものの見方なのだ)印象に残ったものは、広告看板。清涼飲料、車、住宅、病院、旅行、あらゆるものがキャッチーなフレーズと共に宣伝されている。そしてその雰囲気が日本と比べて、なんというか、「前向き」なのだ。僕が一番覚えているのは、優しそうな高齢者夫婦の写真を使った「引退後は、資産運用をしましょう」という看板。「資産運用を我が社に」とかではなく、広告を作っている側も本気で「資産運用って、大事ですよね!」と語りかけているような雰囲気は、どことなく昭和の日本に通じるものがあって、ひょっとしたらこれが経済成長ということなのかも知れないと感じたのだった。間違っているかもしれないけど。
 
ナイロビ市の中心が近づくと渋滞が激しくなる。車が少しでも止まるとすかさずやってくるのが、物売りのひとびと。バナナやプラムや水はわかるが、ネクタイや車のワイパー、さらには絵画まで売っているのはなぜなのか(でもネクタイは売れていた)。テニスラケットも売っているのかと思ったら、網部分に電流を流して蚊を取る(焼く?)アイデア商品だそうだ。交差点はラウンドアバウトだから信号はない。ここでも車同士は、ぎりぎりまで止まらない。盛大にクラクションを鳴らしながら、しかしなぜか事故にならない(何度か事故も見たが)。そうこうして、スタジアムの角まで来たら、いよいよナイロビ市内だ。
 
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2019.04.04 Thu

ナイロビ旅行記(0)イントロダクションと目次

ナイロビツアーで一番強く印象に残っているのは、赤みががった砂ぼこり。トラックが巻き上げて、車から入ってきて、街中にも、屋外でライブした後の鍵盤にも、乾いた空気の中で赤くて細かい土の粒子が、常に舞っていたような気がする。そして、もう一つ記憶に残っていることは、なかなか進まない物事。渋滞や、ショッピングモールのセキュリティに並ぶ列、そしてイベントの中止と再決定。はじめはびっくりして、少しイライラし、目に見えない重い壁のようなものを感じた後で、ある時から「やれることはやれる時にやっておく。できない時は、何もしない」ということを発見し、そうしたら逆に、このシステムをそれなりに機能させている人たちの力にかえってびっくりして、車の窓から見るマタトゥを待つ人の集団も、すこしばかりうきうきした気分で眺められるようになったのだった。僕にそんな変化をもたらしたナイロビの十数日を、ライブの報告と共に書いていきます。何回かに分けてアップするので、ここから各回に飛べるようにします。

<目次>


(0)イントロダクション ここです。
(1)ツアー概要、毎日の往復
(2)初めてのライブ
(3)キャンセルされたイベント出演

(4)待つ。

(5)音楽と、言葉について

(6)ついに生バンドに遭遇

(7)再び街のこと、アーティストトーク、フェス

(8)エマソロライブ、書き残したこと

2019.01.21 Mon

2月末から、ケニア・ナイロビに行ってきます。

2019年2月末から3月上旬にかけて、アフリカはケニアのナイロビに行ってきます!ふちがみとふなととエマーソンの三人、およびエマソロ単体で、ライブや現地のアーティストとの交流が予定されています。北村にとっては初めてのアフリカ!
スケジュールや活動の詳細は下記リンクをご覧ください。詳細が決まり次第順次更新します!
 
3月2日(土)Japan Information & Culture Centre でふちがみとふなととエマーソンのライブ
http://www.emersonkitamura.com/schedule/2019/03/2195/
3月9日(土)The GOAT Social Club でエマソロ単独ライブ
http://www.emersonkitamura.com/schedule/2019/03/2214/

2018.08.20 Mon

Rock Your Baby is included on compilation album Balearic 4

「バンコクナイツトリビュート – 田舎はいいね」EP から思わぬ展開が!ヴォーカルに mmm をフィーチャーした Rock Your Baby がイギリスのコンピレーションアルバム Balrearic 4 に収録されました!詳しくはこちらを。
http://www.emersonkitamura.com/solo/2018/08/453/

2018.06.29 Fri

「窓から」「雨の坂の足許」7インチ盤、7/25/2018 リリース!

昨年デジタル配信のみでリリースされた二曲を、新たに制作したジャケットと新たなマスタリングとで、7インチアナログ盤にしてリリースします!詳しくはこちら、 emerson solo コーナーの記事をご覧ください!

2018.03.13 Tue

僕の考えるパッタナー: 「田舎はいいね」をカヴァーして

em records の江村さんからこの曲のインストカヴァーを作って欲しいと言われたのはかれこれ一年前、2017年の春だった。実際に作業にとりかかったのは秋。
僕も映画「バンコクナイツ」を観た後だったから、二つ返事で引き受けた。しかし実は心の中では微妙なものも感じていた。「今回はアレ、越えられるかなあ……」という不安だ。
「アレ」というのはちょっと上手く言えないのだけど、あえて言葉にすると「非欧米の音楽を、自分が普段頼りにしている欧米ポップスの音楽語彙で制作すること」の微妙さである。
今までも何度か、そのような制作や演奏をしてきた。例えば沖縄、河内音頭、アイヌの音楽。素晴らしいアーティストや仲間のミュージシャンのおかげで、それぞれは楽しかったし、良い物が作れてきたと思う。しかし心の奥ではどこか、これで本当にこの曲の「勘所」をつかんでいるんだろうか、その場所と人に根付いてきた人々の心を分かった内容になっているんだろうかとの不安を、完全にぬぐえないままでもあった。
 
そもそも僕がレゲエ、アフロなど非西洋のポップスに興味を持つようになったのは、1970年代終わりから80年代頭にかけて起こったパンク・ニューウエーブ、特にイギリスでのそれの影響だった。そこには、アメリカのロックンロールやポップスが大好きなのだが、同時に、アメリカのポップス的な価値観には絶対に取り込まれまいとする強い意志が曲や演奏の端々に表れていた(当時自分がこう言えたわけではないが、その「感じ」だけはちゃんと受け取っていたと思う)。それらの動きがちょっと煮詰まったかな、という感じが出てきたころ、非西洋の要素を取り入れた「ワールドミュージック」がブームになった。その中でよく議論されていたのは「我々はその音楽を新しいと言ってもてはやしているが、それは彼らの音楽を、新たなやり方で搾取しているだけではないか」というものだった。その議論は特に大きな結論を見ないまま、音楽のトレンドの変化にともなって「リスペクトを忘れない」みたいな言葉に置き換わって何となく収まったけど、僕たちにない音楽を、単にアレンジ上の要素として加えるだけのやり方はしたくないという気持ちは残った。
問題は、では「単にアレンジ上の要素で取り込んだ」ものと「本当に相手の音楽を、彼らの気持ちに立って理解したもの」との境目はどこにあるのかということである。これがはっきりしないことによる「もやもや」が、冒頭で言った「アレ」の内容だったのだ。
 
「田舎はいいね」はリスナーとして聴くと、とてもインパクトがあって楽しい曲だ。しかも、パッと聴くと音楽的にも我々にとってカヴァーしやすい「分かりやすい」曲に思える。ところが僕は、制作者の耳でこれを聴いて、頭をかかえた。この曲のパワーの源がどこから出てくるのか、わからないのだ。「分かりやすい」のはミックス上目に(耳に)つくイントロのフレーズだけで、あとの演奏は非常に混沌としている。例えばもっと「純粋」なモーラムの演奏は、僕らにはまねできないがその演奏内容はとても明確だ。「田舎はいいね」はファンキーなドラムやピアノも入っていて僕らの知っている音楽に近いはずなのに、これを演奏で再現するだけではぜんぜん面白くないものになってしまうのだ。
 
そこで僕はまず、歌を完コピすることからはじめた。作るのはインストなのに。歌はもちろんお客さんがいちばん良く聴く部分であるが、アレンジと演奏の全体がそれを盛り立てるために向かっていく中心でもある。優秀な人がアレンジと演奏を担当しているならそれは必ず歌を目標にしているはずで、その目標を理解すれば演奏も理解できるのではと思ったからだ。
残念ながらタイ語はひとつもわからない(しかもタイ語というが、ひとつではないそうだ)。しかしそれを音と音程とリズムとで把握することはできる。「どんな音楽も、基本的な要素に分解できないものはない」というのが僕の考えで、例えば譜面に表わせない付点音符と三連符の中間のタイミングも、中間のどこのタイミングで演奏されているかは、譜面に書くのと同様のやり方で把握することができる。それは中途半端な精神論よりも、よっぽど良くその音楽の勘所を自分なりに把握できる方法だと思っている。ただし、コードやタイミングといった「予断」になるようなセオリーはミュートした状態でただ単に耳コピするから、手間はかかる。
 
こうして莫大な時間をかけて「このタイミングは微妙」という書き込みとカタカナのふりがながびっしり並んだ譜面ができた。
もう一つ、同じ作業をしたパートがある。それはベースだ。
ミックスではあまり良く聴こえないのだけど、「田舎はいいね」を聴き込んでいくうち、この曲の混沌すなわちパワーの源は、ベースにあると思うようになった。ドラムとピアノ、そしてホーンセクションは、欧米ポップスと同じコード解釈でできている。しかしベースは、時にはコードと合わず、かといって「民族音楽的」ではなく、あるきちんとした解釈に沿って演奏されている。
ここで、エマーソンのレゲエ好きが役に立った。ロックバンドなら音が外れていても、レゲエのようなグルーブの中でなら成り立つベースライン、というものがある。そして優秀なベースラインはジャンルを問わず、例えば歌とそれだけを抜き出してみると、音の高低、休符の入れ方などが、きれいに歌と合っているのだ。顔も人生も知らないベーシストの演奏だけど、これはそういうベースであるはずだ。
ピッチが微妙な部分はシンセでは再現できないけど、こうして、曲の頭から最後まで、クラシックのようなベースの譜面もできた(一番二番三番で演奏しているフレーズが違っていた。さすがにこれは踏まえることができなかった)。そして、ひとまずコードのことはあとまわしにして(キーボード奏者なのに……)、延々歌とベースラインのことを考えた。よくある「ロックステディ風トラックの上に、エキゾチックなメロディが乗る」もので済ませたくなかった。逆なのだ。ロックステディがその現場でやっていた、音楽要素のミックスの作業を、楽曲に即して再度ここで実行する。その結果は単なるロックステディ風にはならないはずだ。実家にあるヤマハの1970年代製エレクトーンからサンプリングしてきたリズムボックスを延々ながしながら。
 
ここまでが「田舎はいいね」に僕が費やした時間の、7割ほどである。コードも印象的なイントロフレーズも大切だが、それは気合いを入れて何テイクもかけないようにすれば、きっと良くなる。ライブでも、右手はメロ/左手はベースを同時に弾くことになるから、左手と右手のシャッフル度合い(付点音符と三連符の中間の、タイミングの傾き)がそれぞれ異なって難しいが、それを何となくひとつのパターンにそろえてしまっては、原曲の何か大事な部分をなくしてしまう。
 
「田舎はいいね」の混沌は、ざっくりいうと、アメリカのロックやポップスが好きで、新しくて楽しいことがやりたい気持ちと、それに捕われてたまるか、自分たちの音楽を作るんだという気概とのぶつかり合いから生まれる、混沌だった。それが演奏上で最も顕著にあらわれていたのがベース。ベースって、そういうパートなのだ。田舎はいいねのベースは、見事にそのぶつかりあいに勝っている。
 
制作途中に気持ちが煮詰まって、江村氏に相談したことがあった。そのとき江村氏は「パッタナー」という言葉をあげて、まさにこのようなことが1970年代前後のタイのプロデューサーの間で目指されていたことを教えてくれた。ならば僕も、自分のパッタナーをするつもりでこの曲に取り組めばいいのだと、目の前がパッと開けた気持ちがしたのだった。
もうひとつ、最も大事なことを言うと、「田舎はいいね」の歌詞とタイトルは、単に田舎を賛美するものではないそうだ。当時のタイではたくさんの人が経済的な理由から住み慣れた土地を離れ、都会に出て行った。都会で働き、田舎との格差から生まれる問題に疲れた心(先日のタイ爆音映画祭でも繰り返し繰り返し扱われていたテーマだった)にマッチするよう、生まれたのがこの曲だということだ。だから「田舎はいいね」と歌っていても、心はぜんぜんその通りではないのだ。良い歌ってそういうことですよね。これで言葉が分かったら最高なのだけど……

2017.09.18 Mon

配信リリース曲セルフレビュー「窓から」

エマソロに興味がある多くの人にとってはなじみの薄い名前かも知れないけど、エマソロは実は、キンクスから大きな影響を受けている。1960 年代から活躍するイギリスのバンドで、レイ・デイヴィスの名曲 “Waterloo Sunset” で歌われる風景は「知らない家」の後半にも出てくるし、「両大師橋の犬(両大師橋は上野駅近くの跨線橋。僕は勝手に Waterloo Station は上野駅のようなところだろうと想像している)」も、僕にとっては「waterlooモノ」の一曲だったりする。そしてこの曲、「窓から」というタイトルも “Waterloo Sunset” の一節 “Every day I look at the world from my window” から来ている。
 
「窓から」は「ロックンロールのはじまりは」の曲たちと同じ時期 -2015年の夏だったかな- にはもうできていた。「…はじまりは」には6曲しか入っていないのだから「窓から」も入れれば良かったと普通は思うだろう。僕もそのつもりだった。だけど、「…はじまりは」の準備を進めてゆくうち、収録曲内での「窓から」の位置が微妙になってきた。「…はじまりは」というアルバムに対する僕のイメージがどんどん「ざらっと」した、抜き差しならない感じのものになっていって、それを文章でも表そうとしていく一方で「窓から」は、人で例えると「いい人過ぎ」みたいな感じの立ち位置になって、ちょっと他の曲と並ばないかなあと思うようになってきた。「…はじまりは」がハードな曲ばかりという訳ではない。「中二階」のような調子イー曲もあるのに「窓から」は並べられなかった。バランスというのはそういうものなのかな。インディーズ(というか個人経営)の自由さというか、勝手をさせていただいて、結果「ロックンロールのはじまりは」は6曲+エッセイ+特殊ジャケットという形で完成した。
 
残された「窓から」。曲としては決して嫌いでなく、むしろ上手くできた方かなあと思っているくらいだから、これを眠らせておくのは良くない。たまたまエマソロ作品のディストリビュートをしてくれているウルトラ・ヴァイヴさんが新しく配信リリース専門レーベルを立ち上げるという話を聞き、そのラインナップに加えてもらうことで「…はじまりは」から間をおかずにこの曲を届けたいと思ったのが、今回のリリースのきっかけだ。アルバムには入らなかったけど、同じ頃にできているんだから「…はじまりは」ともつながりがあると思う。スピンオフとして聴いてくださっても良いし、こちらからエマソロに入ってフィジカルの作品に進んでくれても良い、そんなつもりで存在しているリリースです。
 
肝心の音楽のこと。古いカリプソやアフリカンジャズを中心にめちゃくちゃ幅広い音楽を発掘しているレーベル Honest Jon’s の名コンピレーション London is the Place to Me の、第2集だったかな、Sing the Blues という美しい曲があって、静かでもちゃんと流れているリズムがあって、全体はシンプルで、僕もそんな曲を作りたいと思ったのが発端だった(その目標はこの曲に限ったものでなく、すべての曲作りの上での目標だけど)。音楽としてはラテン・カリブ系になるのだろうけど、厳密に何のリズムを使っているのかはちょっとあいまいで、エマーソン脳内に存在する架空の音楽ジャンルということになるかもしれない。下手をするとうそっぽくなる恐れもあるやり方だが、ひとつひとつの要素〜例えばリズムパターン、コード、曲の流れのバランスなどが説得力を持てさえすれば、ジャンルとしてはヴァーチャルでも、伝わるものがリアルになるのではないかと今回は考えた。中間部分は何のジャンルだろう…じゃがたら?
リリース日に近かった今年2017年のフジロックではこの曲で大盛り上がりしてくれたのが、自分にとって大きな手応えになった。苗場食堂とお客さんに感謝です。
 
それで再びタイトルのこと。外では大嵐が吹いている。自分は本当は窓を蹴破ってそこに飛び込んでいかなきゃいけないし、飛び込みたい。一瞬外に出て暴れるんだけど、気がついたら自分はやはり内にいて、窓から外を見ていた。そんなストーリーも感じられる曲だけど、それは実は自分のことでもある。僕にはずっと、外側にコミットしたいと思いながら、同時に、窓を通して世界を見ているような感覚になる時がある。そんな自分がすごく嫌だったり、いつまでもそんなでいられるなよ、とも思うのだけど、同時にそれは自分にとっては、いろんなものを作ったり人と関係を持てたりすることの、案外基礎になっているのかもしれないと思うこともある。

2017.09.14 Thu

配信リリース曲セルフレビュー「雨の坂の足許」

なんとも情けない話だけど、リントン・クゥエシ・ジョンソンの Bass Culture をずっと聴いてきたのに、ごく最近になって初めて気づいたことがある。
アルバムのタイトル曲の冒頭 “Musik of blood black…” と歌いだす中でベースがダダダ…と下降してゆくのは、ジャケットにある通り、地下室への階段を降りてゆく様子を表現していたんだ!
なーんだ、降りてゆくことを表現するためには音が下降すればいいんだと、単純すぎる発見をしたのだった。
このところ、ラヴァーズロックのドキュメンタリー Blues Party を観たり、カクバリズムのラジオ番組で “Bass Culture” をかけたり、1970 年代のイギリスのレゲエが自分の中で何度目かの流行をしたので、よしそれでは、エマソロにはありそうでなかったマイナーキーのレゲエにしてみようと思ってできたのがこの曲で、だから下降するベースラインが過剰に出てくる。
下降といえばマイナーキーのブルースがある。マイナーキーのブルース進行は何というか教科書っぽくなるので微妙なんだけど、大好きなフランスのオルガン奏者 Eddy Louiss のやっているものはそんな感じがなくて、暗さと光の加減がすばらしく、そのこともあってブリッジ部分はマイナーブルースのスタンダード的なコード進行になっている(スカタライツの “Confucius” でもある)。
 
今年の梅雨の季節には、なぜかたくさんの坂を歩いた。エマソロツアーで訪れた酒田や今治や呉、それから夜の国会前。雨の中で足許に気をつけながらうつむいて歩いていると、踏みしめている足の下には何があるのだろうという思いにとらわれる。それは意外に力強いものだ。下降するイメージには”Bass Culture” の冒頭の、階段の下からあふれてくるベースの音のように、何かが沸き上がってくるイメージが組になっているような気がする。
 
ライブでは間奏のシンセモジュレーションによるノイズを、自作の「導電インクの迷路」で演奏する試みも始めた。これについてはまた別記事にするけど、何を描いても電気さえ通せばいい絵の図柄を「迷路」にした理由には、この曲でのモジュレーションに迷路から脱出しようとするような感じがあるから、というのも、ちょっとだけある。
 
Linton Kwesi Johnson のサイト

2017.07.28 Fri

新曲「窓から」「雨の坂の足許」を配信でリリースします。

エマソロの新しいリリースをお知らせします。
新曲の「窓から」と「雨の坂の足許」を、2017年8月2日(水)に配信でリリースします!
詳しくはこちら、「Emerson Solo」メニューの記事をご覧ください。

2017.04.04 Tue

2017年4~5月のライブ

1月末の大阪「ひとりサーキットin堀江」から始まって3月の秋田まで続いた「ロックンロールのはじまりは」ツアー、来てくれた皆様そして準備してくれた皆様本当にありがとうございました!いろいろな試みをしながらのライブでしたが自分にも力になりました。
でも「はじまりは」ツアーはまだ終わりません。5月6月にも各地にうかがいます。都内、関西でもワンマン、イベント参加といろいろなライブがありますのでどうぞご期待ください。
近いライブをまとめて、簡易フライヤにしてみました。白黒で、写真と日付と場所だけという、ちょっと’80年代風なもの。
 
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写真:伊藤菜々子