Column

2022.02.26 Sat

エマーソン北村文章サイトをオープンしました

エマーソン北村文章サイトをオープンしました。こちらのColumn欄では読むのが大変になってしまう、分量のある文章などを置いてゆくつもりです。まずは「COVID-19闘病日記」をアップしました。

コロナ禍によってライブが減っているためにこのホームページの性格も変化していますが、メインである音楽活動の情報や記録は引き続きこのサイトで更新していきますので、よろしくお願いします。

エマーソン北村文章サイト
https://texts.emersonkitamura.com/

あわせてこちらもどうぞ。
bubblingnotes web shop エマーソン北村の個人レーベル、bubblingnotesのBASEです。
https://emkitamura.thebase.in/
エマーソン北村 bandcamp
https://emersonkitamura.bandcamp.com/
mmm with エマーソン北村 bandcamp
https://emersonkitamura-mmm.bandcamp.com/

2022.02.25 Fri

映画Charlotteに音楽を提供しました(2021年のニュース)

昨年8月、僕がCOVID-19で入院していた時のニュースなので改めてアップします。
USのインディー映画Charlotte (zach dorn監督) に音楽を提供しました。短編のストップモーションアニメですが、内容はとても現代的です。1970年代にフォークシンガーだった祖母の曲がたまたま現代にカヴァーされヒットしたことをきっかけとして、不在の父親へのテープレターを作り続ける孫と、音楽が嫌いだったその母、三世代に渡るそれぞれの記憶と関係に微妙な変化が生まれます。
映画では音楽が重要な役割を果たしていますが、北村が制作したのはそれではなく、いわゆる劇中音楽です。また下のトレイラーでは、僕の音楽が全面的にフィーチャーされています。
2021年に制作され、秋のトロント国際映画祭でプレミア上映として公開されました。日本では今のところ、同年の新千歳空港国際アニメーション映画祭で一度上映されただけなので、今後良い形で公開されることを望んでいます(配給ご希望の方は僕に連絡ください)!

2022.02.10 Thu

Fairbrother “남편 Husband Version” がリリースされました

2021.10.01 Fri

北村のCOVID感染と、シアターブルックでの活動の無期限休業について

いつもシアターブルックとエマーソン北村の活動を応援してくれて、ありがとうございます。

公表されているように、僕は8月4日にCOVID(新型コロナウイルス感染症)を発症しました。肺炎を併発して中等症Ⅱまで進み、入院を要する重いものでした。現在も自宅で体力の回復と後遺症の防止につとめており、医師によれば身体が完全に元に戻るには数ヶ月ないし半年かかるだろうと言われています。

発症の4日前となる7月31日、シアターブルックは千葉県いすみ市でイベント Forest Jam に出演しました。この日のライブは、ほとんど感染対策がなされていないと言ってもいいほどの「ユルい」もので、多くのお客さんが密集して大声をあげ、その半数近くがマスクをしておらず、またそれを注意する人もいないという状況でした。このイベントが僕のCOVIDの感染原因だったという確実な証拠はありませんが、イベントと発症のタイミング・僕はその前後の日々はライブ以外に外出していないこと(8月1日にもシアターブルックのライブがありましたが、こちらはきちんと感染対策がなされていました)・そして何よりイベントの状況から見て、僕のCOVIDとこのイベント出演とに、何らかの関係があったと考えざるを得ません。

僕は、ライブ本番になるまで、このイベントがこのような雰囲気のものだということを知りませんでした。多少の不安はありましたが、シアターブルックがバンドとして決めたライブだからということで、いつもと同じように参加しました。しかし残念なことに、リーダーである佐藤タイジ氏をはじめバンドの意思決定の中心となる部分は、主催者側に感染対策を求めるでもなく、本番が始まって密集がひどくなってもそのままで、むしろ一部のメンバーは「マスクなしライブ」をお客と一緒になって楽しむ雰囲気さえありました。もしこのようなイベントを「あり」とする雰囲気がバンドの活動方針にあったとすれば、それは僕には到底認められないものです。

僕はこの感染によって、自分がCOVIDで苦しんだだけでなく、看病した同居のパートナーまで感染・発症させてしまいました。また僕の感染が原因となって延期となった、他アーティストのライブもあります。音楽を演奏することによって他人を傷つけ損害を与えるということは絶対にあってはならないことです。従いまして、

僕、エマーソン北村は、今後のシアターブルックの全活動を、無期限休業とさせていただきます。

無期限は重すぎるという考えもあると思いますが、僕は35年に渡るライブ歴の中で、どんなハチャメチャなライブをしても絶対に他の人を傷つけない、ということが誇りでした。この日のイベントは、当時の千葉県の感染状況やオリンピックなどの背景もあって、たまたま「ノリ」でこういうものになったのかもしれません。しかしライブは「ノリ」のものだからこそ、気遣いと即応力が必要なのです。そのためにシアターブルックがバンドとして、普段からコロナの現実をしっかり見すえた姿勢をとって、メンバー・スタッフの不安や懸念を全員で解決するようにしていれば(このコミュニケーション不足は僕も反省するところです)、少なくとも僕の2か月にわたる、そしてこれからも続く身体・精神・家計のダメージは全く違ったものになっていたことでしょう。また、Forest Jam はじめ全国のインディなイベントの主催者たちには、未だに大規模な検査を行わずクラスター対策中心の発想しかしてこなかった国の方針に流されることなく、インディならではの科学的で実効性のある感染対策をみずから行なって、活動を続けてほしいです。それは規制だらけのものではないでしょうし、同時に決して「ユルい」ものでもないはずです。

たった一回のライブのために今まで培ってきた演奏のコンビネーションを無きものにすることは心苦しいですが、たった一回のライブだからこそ、それを通じて起こってしまったことの結果は、僕を含めて関係者の誰もが見据え、正面から受け止めなければならないと思います。
その結果は、シアターブルックでの僕の演奏を楽しんでくれた皆様にとって、そして何より自分自身にとって非常に残念なものになってしまいましたが、どうかご理解いただけますよう、ここに発表いたします。

2021年10月1日 エマーソン北村

2021.05.27 Thu

Masami Takashima さんとスプリット7inchを作りました。

昨年からの企画が次々とレコード盤になってリリースを迎えています。

四国在住のアーティスト、Masami Takashimaさんとの7インチシングル、情報はこちらです。

2021.05.07 Fri

CHASING GIANTS が LPレコードになりました。

2020.12.21 Mon

エマーソン北村の 販売サイトを BASE に作りました。

エマーソン北村の個人レーベル bubblingnotes の物販サイトを BASE に開設しました。レーベルの作品はもちろん、他レーベルからリリースされた北村関連の音源やグッズも、可能なものは取り扱っていこうと思います。よろしくお願いします!

https://emkitamura.thebase.in

2020.06.15 Mon

CHASING GIANTS エマーソン北村によるセルフレビュー (目次)

2019年11月29日に発売された mmm with エマーソン北村のアルバム CHASING GIANTS についての、僕・エマーソン北村によるセルフレビューです。アルバムの曲順通りに10曲分が、10回のコラムになっています。番号の次が曲名、その隣はサブタイトルです。

(1) introduction -伸び縮みする時間-
(2) Chasing Giants -ただ数えること-
(3) 街のあいだ -欠けたもののこと-
(4) ぼくのともだち -しょうもないけど愛してる-
(5) 見えないゴール -繰り返しと逸れること-
(6) 夏至 -You Don’t Know Me At All-
(7) Astronomer -高速道路の天文学者-
(8) クローサー -ソクチョのつばめ-
(9) 宇宙人
(10) Moon River -世界を見に-

アルバムのリリースインフォメーションはこちら。
試聴、ダウンロード購入のできる bandcamp ページはこちら。
グッズや、自主レーベル作品の通販はこちら。

2020.06.14 Sun

CHASING GIANTS セルフレビュー (10) Moon River -世界を見に-

mmmと僕がはじめて一緒に音を出した2016年の旧グッゲンハイム邸「初夏のセンバツ」で演奏したのが、オリジナルのI’d Rather Beとこの曲、Moon Riverだった。もちろん有名映画劇中歌のカヴァー。

mmmの歌は特に、rainbow’s endというところがいい。本当に、虹が地面に着地しようとする場所で、誰かが待っているような情景が目に浮かぶ。普段英語を話す人によるカヴァーでもあまりそんな風に聴こえたことがないので、ライブ後にそのことを話すと、mmmの方でも歌い方についていろいろ考えている点があるようで、あ、この人はふんわりしているようで、それだけの人ではないのだなと思った。片手ではずっとウイスキーグラスをカラカラいわせていたが。

僕の方はそれに対して、このようなスタンダードでは100回やったら100通りのバッキングができると思っているので、イントロ以外はあえて何も決めずに演奏した。茅場町の七針で、キーボードも外部スピーカーから鳴らし、歌とアンビエントマイクだけで録っている。

意識してやったわけではないのだが、マスタリングの前にミックスの終わった曲をアルバムの順番通りに聴いてみたら、「宇宙人」で何億何万何千何百光年を旅した「僕」が、最後に降り立った惑星で聴こえてきたのがこの曲だった、というストーリーが浮かんできた。mmmも同じだと言う。アルバム作りというのは受け手に曲をできるだけ「聴かせる」作業の連続だから、最後くらいは我々にとっても「聴こえてくる」ようなトラックがあってもいいのではないかと思った。それでマスタリングでは、音量調節などの「聴かせる」作業は何もせず、「宇宙人」からの曲間も非常にゆっくりなものにした(あえてそれ風の音質にすることもしなかった)。「僕」が降り立った惑星がどんなところかは分かったが、結局「彼女」に会うことができたのかどうかは、わからない。

この曲の後は、一曲目に戻って虹の向こうに再び巨人を追ってもいいし、音楽を聴くのを終えて、「世界を見に」出かけてもいい。

* * *

10曲分10回に渡って続いたCHASING GIANTSセルフレビュー、読んでくれてありがとうございました。
本編に書ききれなかったこととしては、まずアルバムのカヴァーデザイン。ルドンの絵とタイトル文字を組み合わせ、アルバムにふさわしい色合いにしてくれたKuidoさん。本当はトレーシングペーパーのレイヤーがもう一層多くて、パッケージを開けるごとにまさに巨人を追っているようなカヴァーになる予定だったのですが、予算の問題で叶わず、申し訳なく思ってます。mmm staffさんによるbandcampのQRコードカード、Masami AokiさんによるTシャツなど、本盤以外でも良いデザインに恵まれている当プロジェクトです。

オフィシャルMVというものは作れてないのですが、2020年2月2日に行われたリリースライブでの、mmm+エマーソン+菅沼雄太+icchieによる動画が、最近公開されました!今のところはChasing Giants一曲だけですが、この後他の曲も、順次公開していきたいと思ってます。

カセットに収録されているのにアルバムには収録されていない「新しい朝」という曲は、曲自体が良くなかったのではなく、カセット音源のアレンジの方向性がどうもこのアルバムの中で収まりが悪かったために、収録を見送りました。アレンジを変えてまたやってみたいです。同じくアルバムの流れがぼやけるという理由から、レコーディングは行ったのにアルバムに収録しなかった曲が、一曲だけあります。楽曲のアレンジ同様アルバムをまとめる上でも、CHASING GIANTSは極力余分なものを残さない方向で作りました。非常にオーソドックスな「アルバム」というものの考え方に立っていると思います。

mmmと僕・エマーソン北村によるこのアルバム以降の作品として、実はすでに一曲、レコーディングの完了しているトラックがあります。他アーティストに提供しているものなので、発表は先方から行われるのをお待ちください。しかし、mmmの歌詞とヴォーカルパフォーマンスも、僕のアレンジと演奏も、これまた一筋縄ではいかない、そしてパワーに満ちたものになっていると思います。どうぞご期待ください!

このセルフレビューはCovid-19によるStay Home期間中に、なかなか二人揃っての活動ができない中で書いたものです。たまたま僕はこのような大量の文章を書きましたが、mmmにとってもきっと同じだけ、違う視点からCHASING GIANTSについて語れることがあると思います。それを聞くのも絶対面白いことだと思うのですが、多分彼女は文章を書くよりも音楽作りそのもので「次」を表現してゆく人だと思うので、僕もそれを楽しみにしながら、また活動のできる状況になったら、一緒にやっていきたいと思っています。みなさんどうぞお元気で!

2020.06.14 Sun

CHASING GIANTS セルフレビュー (9) 宇宙人

アルバムの中でも特に大切な曲。録音した日のことを思い出しながら聴くと今でも9分間分の体力を消耗した気になるが、今の生活の中で自分のよりどころが分からなくなる時、まっ先に聴きたくなる曲でもある。

mmmが十代の時に初めて作ったというこの曲はまず何よりも、彼女自身に向けて書かれている。この曲を書き、歌うことで、まず自分が救われる。そして同時に、自分のことを全く知らない誰かが、この曲に書かれていることを自分のことのように感じ、救われる可能性がある。それはポップソングそのものの本質でもあるし、音楽作りで一番大事にしたいことでもある。

この曲はすでにmmmのファーストアルバム「パヌー」で一度リリースされている。それなのに僕がこの曲をアレンジして再びCHASING GIANTSに収録したいと思ったのは、「パヌー」のヴァージョンに不満があったからではなく、この曲で歌われているストーリーはmmmの曲の中でも特に普遍性があると思ったからだ。完全なストレンジャーを好きになってしまったことで味わう、何億何万何千何百光年の孤独。ライブ慣れするより前の時代に作られた曲だから、今のmmmにとっては若干キーが高すぎた。しかし、楽に歌えるキーまで下げると何かが違ってしまうので、結局元のキーのままでいくことにした。

歌い手と共演者の関係がごまかせないものになるのは、こういう大事な曲を一緒に演奏する時だ。僕はmmmの歌をどう聴いているのか、mmmは僕の演奏に何を求めているのか。人間的な関係ももちろんだが、それ以上に自分の音楽観や人前で演奏することをどうとらえているかが、否応なく明らかになるし、またそういう演奏にならなければ意味がない。

mmmの弾き語りを観たことのある人なら、この曲の魅力は自由なタイミングで伸び縮みする、演奏の「揺れ」にあるとすぐに思うだろう。僕が加わる場合も、この演奏に「自由に」ついていくだけで、十分良いものになると思われた。でも、と僕は思った。それで本当に、この曲の持つ大きな時間の流れを表現しきれるだろうか?歌い手に合わせるだけの演奏というのは、その時はいい感じでも、すぐに歌い手に「おんぶ」するだけの演奏になってしまう。そうなると曲の伝わり方は平面的になってしまい、二人の演奏はいつまでたっても完成形が見えてこない。どうしたらいいだろうか?

歌い手と共演者の関係を考える時、僕がいつも頼りにする動画がある。クラシックブルースシンガー、ベッシー・スミスとピアニスト、ジェイムズ・P・ジョンソンによるデュオ演奏。宇宙人からかけ離れていると思われるかも知れないが、僕にとって音楽は常に、例えば「シンセを手に入れたジェイムズ・P・ジョンソン」を想像するようなことなのだ。

Backwater Blues / Bessie Smith (vocal); James P. Johnson (piano) 1927

もうひとつの大事な準備は、メロディをコードや小節の枠から一旦はずして、「1拍ごとに把握する」ことだった。mmmのメロディを最初から最後まで、休符を含めて言葉と一緒に譜面に書き出してみるのだ。そうしたら、自由なタイミングで揺れながら歌っているように聴こえるmmmのメロディが、実はかなりかっちりした時間軸の上にできていることが分かった。そして、必要なものといらないものが見えてきた。コード進行もほとんどいらない、打楽器もいらない。いるものはただ、ほぼ一種類のループだけということになった。ただしそのループは、mmmの自由なタイミングを縛るものであってはならない。ループ音楽で僕が思い出すのは、例えば高校生の時に友人から教えてもらった、こんなものだ。

A Rainbow in Curved Air / Terry Riley 1969

こうして「ブルースのように揺れながら、テリー・ライリーのように繰り返す」という僕の演奏方針ができた。タイミングの「読み」を求められる、難しい課題だ。mmmには、僕がいてもいなくても同じように、自由に演奏してほしい(これもmmm with エマーソンの演奏において常に言っていること)。だから録音はクリック(一定のテンポを刻む、メトロノームのようなもの)を使わない、9分間の一発勝負である。二人のタイム感をつなぐ上では、mmmの弾くエレキギターが役に立った。ポローンと弾いているだけに聴こえるこのギターも、歌の合いの手として、曲の流れをとてもよく表現している。オルガンは長年使っているヤマハのYC-10、足鍵盤でシンセベースと、アルペジエーターやノイズ以外はライブで演奏している。

実は、録音当日に「OK」とされたテイクは、今アルバムで聴けるテイクではなかった。アルバムで採用されているテイク(テイク1)は録音した日には、ほんのちょっと思った通りにできなかったとか、声がかすれたという理由で、僕も含めた二人の「演奏記録」から除外されていた。それがたまたま他の作業が「押し」たせいでミックスまで1ヶ月近く時間が空き、録音当日の記憶もすっかり薄れたころ(その日は真夏の暑い日だったし)、再び録音ファイルを開いてこのテイクを「発見」したのだった。冒頭の「僕は今日…」を聴いた時からすでに、僕はこのテイクの演奏に引き込まれていた。新鮮というのとはちょっと違う、音楽をやる「覚悟」のようなものが、他の「上手な」テイクとは断然ちがうのだ。mmmにそのことを話して、改めて聴いてもらったところ、彼女も同意見だった。それでこのテイクを採用して、ミックスをして、今みなさんに聴いてもらっているような宇宙人ができあがった。

演奏者の「覚悟」というのは、以前はよく言われたことだ。いかなる時でも音楽の受け手に対して「前を向く」姿勢、とでも言えるだろうか。mmmに限らずこの数年間、いろんな世代のアーティストとライブをしていて、この人の「覚悟」はまだまだだなあと思うことは、正直、ある。しかし同時に、「覚悟」の中身が90年代や00年代とはすっかり変わってきていることも、また感じる。音楽をとりまく状況の変化を考えれば、当然のことだと思う。だけどこの曲を、二人の「覚悟」を込めた形でまとめられたことは、きっと後で生きてくるのではないかと思っている。

この先さらに、我々の「覚悟」をめぐる状況は、どう変わっていくのだろうか。mmmの世代のミュージシャン達は、その中をどう生きていくのだろうか。mmmとの録音作業が終わって彼女が帰った後に頭に浮かぶことは、いつもそんなことだった。

宇宙人の歌詞を追っていると、いつもあることが疑問になる。結局「僕」は、宇宙人である「彼女」を見つけられたのだろうか。「僕」が光速でブラックホールに吸い込まれてゆくような間奏の後で、新しい歌詞はないまま、曲は終わる。「締め」のないのはmmmの曲の特徴だが、芸術的にはなくてもいいと思う反面、素直に気にもなる。
さて、その結果は…?

(追記)
ひととおりこの原稿を書いた後でふと思い出し、どうしても頭から離れないので書いておきます。
僕の中で最もこの曲につながっているアーティストは、ベッシー・スミスでもテリー・ライリーでもなく、遠藤賢司さんかも知れないと、今気がつきました!もちろんmmmの音楽上のテイストとは異なりますが…
エレキギター一本の弾き語りというスタイル、「宇宙」というキーワード、長尺の曲、そして何より「覚悟」ということを言葉でなく姿勢で感じさせてくださったのは、エンケンさんの演奏だったと思います。ありがとうございました。

Backwater Blues / Bessie Smith (vocal); James P. Johnson (piano) 1927