Column

2014.09.13 Sat

コメンタリー: 13. 夜中

こんばんは。秋らしくなってきましたね。
この全曲コメンタリーもかなりの所まで来た。このコラムはマニアック解禁にしているので読みづらい方には申し訳ないと思っているが、「読んでます」と感想を下さる方もいて、力づけられる。ありがとうございます。
 
普段は「自分はオルガンプレイヤーすから」とピアノにはあまり興味ないふりをしているが、実は、ピアノ、すごく好きだ。人から習ったことがないことでどことなく引け目を感じているが、高校生のころはピアノのあるところに行って個人練していたこともある。
その頃どんなのが好きだったかと言うと、モンクは別格として、ダラー・ブランド(アブドゥーラ・イブラヒム)の African Piano。練習したな。実はいわゆるワールド・ミュージックへの接近ルートとして、パンク→レゲエという道のりの他に、このような(オルタナティブな)ジャズ→各国音楽、というルートも、自分にはある。むしろこっちの方が自分にとっては古く、より自分自身に近かったりする。
でも、「夜中」のような曲の方が、スリーコード・定型小節数のロックよりも、曲にかかってくる重層性という点では、簡単だとも言える。いろんな人がいろんなトライを重ねてきたポップやロックにそのフォーマットでもう一曲足すことの方が、フォーマットから「自由」になった曲を作るよりも、闘わなければならない相手の蓄積は余程大きく、むづかしい。
それでもね、出ちゃうんだこういう曲が。モンクの「Crepuscule with Nellie」には遠く及ばないが、そういうボローンとした、暖かくかつ空虚、みたいなものは、どうしても基本にある。そして僕の場合は、ピアノにローランドの System 100(Mじゃない) を足したくなる。この二つこそ、僕にとっては「最高のテクノ楽器」だからだ。あ、KORG のアナログディレイも。
曲後半の部分は、何度も試しているリフの、一断片。「遠近(おちこち)に」初回特典の「エマソロ・ライブサンプラー」に収録されているパリのカフェでのインプロも、その一つのバリエーション。今回アルバムではインプロを収録するという発想を捨てたため譜面で書ける内容になっているが、ライブにはこれとは別のオチの付け方があるはずと、思っている。

2014.09.09 Tue

コメンタリー: 12. I’ve Grown Accustomed to Her Face

アルバムを作っている時は後半の曲が地味かなあ〜と思っていたのだが、自分の周りの感想では後半の評価が高い。ありがたいことだが、こういうことは絶対に自分一人では予想できないなあ〜。
エマソロの楽器には二種類のパターンがあって、今では YAMAHA DX100 というミニシンセでライブすることも多くなったが元々はオルガンを弾くのがエマソロだった(だからDX100も2台並べている)。アルバムも初期には全曲オルガンでいこうと思っていた。この曲はその時期に録ったものでアルバム中最も古く、2009年の夏。シアターイワトは劇団黒テント(高校生の頃観てた)が拠点として維持していた劇場で、以前は多分倉庫か商家だったものを改造したのだと思う。かねてから自分の理想のスタジオというのがあって、それはあまり創作の場っていう感じがなくて、地元の商店やら町工場みたいな場所というイメージなので、ぴったりだったのだ。実際録ってみると残響の多さに苦労したが、それもそもそも狙っていたことなので、録れたものを落ち着いて聴いてみて、これでいいじゃんということになった。この曲はミックスすらしていない。ラフミックスそのままで、どうしてもこれを超えるミックスが作れなかったのだ。
親の話では6才ころ、楽器店のショーウインドウにあったヤマハエレクトーンに触りたがったというのが、僕のオルガン歴の始まりだ。エマソロのイージーリスニング感はそこから生まれているから、オルガンにしてもジミー・スミスやキース・エマーソン(笑)のようなゴリっとしたものよりもビル・ドゲットやワイルド・ビル・デイビスのようなイナタイもの、あるいはルー・ベネットやローダ・スコットのフランス録音のような、手回しオルガンからの連続をちゃんと感じられる音の方が好きだ。(一番好きなオルガンプレイヤーはフランスのエディ・ルイスだがその話はまた別に)それで「ステレオでなくモノ」「部屋鳴りによるリバーブ」という、この曲の録音方針ができた。一見逆のようだが、僕はオルガンには機種のこだわりが全くない。つきつめればオルガンはサイン派発生器の集合体、ある意味では最高のテクノ楽器だと思っているので、例えば逆に DX7 は立派にオルガンだと思っている。楽器の音色自体には情感が乏しくて、そんな音色で情感を出せる演奏をすること、なぜかそこにはこだわりを持っている。さらに、そのことを、神楽坂の元倉庫の劇場で録りたかったのだ。こだわってるのかこだわってないのか、自分でもめんどくさいな〜と思う…
アルバムレコーディングの後半になって、もう何度かシアターイワトを使わせていただいたいと思ったがその時にはもうなかった。でも平野さん、ありがとうございました。
それで、曲のこと。ミュージカル映画は大好きだがこの曲が入っている「マイ・フェア・レディ」はそんなに好きではない。斉藤和義さんのコメントにもあるように、ウエス・モンゴメリーのライブアルバム「Full house」収録曲の方がきっかけだ。実はいろんなアレンジでずっとやっていて、いつまでたってもベストのアレンジが見つからなかった。ここでひとつの結果を見たような気がするが、それは一番「普通のオルガン演奏をする」というものだった。
 

2014.09.04 Thu

コメンタリー: 11. 橋からの眺め

古今東西南北、橋を題材にした曲は多いですね。スカの名曲 Bridge View(これは地名だと思う)、キンクスは Waterloo Sunset、A View from the Bridge なんてのもある。大体僕も含めて人はやりきれなくなると橋のところをぶらぶらするようで、そんな「橋」ソングの系譜にこの曲は入れてもらえるのだろうか …
レゲエもブルースも好きだけど、音の構造にはずいぶん違いがある。表わしている気持ちには共通するものを感じても、それを成り立たせている勘どころはたまに正反対な場合すらある。特に、レゲエに特有の「ど」マイナーキーによるブルース感覚、みたいのは、メジャーキーのポップソングが好きな北村にとっては扱いの難しいものだ。Taj Mahal を聴くとそれがいとも簡単に超えられているのに感激するのだけど、聴くとやるとは大違いで、Taj Mahal がさらっとそういうことをやっているから自分もそういう曲を作れるような気になると、めちゃめちゃ苦労することになる。… みたいなことがこの曲を作っていた時に思ったことだった。
でも、意外にこの曲は「育った」かもしれない。北海道 RSR フェスの草むらで、大阪カレー屋のちゃぶ台の上で、演奏した時の何かを、曲の方も吸い取って帰ってきているのかもしれない。
この曲の録音は今はなき神楽坂の「シアターイワト」で録らせてもらった(神保町「スタジオイワト」さんとは別)。時期もこのアルバムの中では次の曲、Accustomed に次いで古い時期に録音した。ミックスもアルバム中で一番早く、テスト的にミックスしたものをそのまま使った。なので録れた音はいろいろでこぼこしていたのだが、m’s disk 滝瀬さんのマスタリングを施された瞬間に、何かが完成した。滝瀬さんの話では、既にぎっしりと詰め込まれ、低音も高音もトリートされ尽くしたミックスよりも、でこぼこの残っているものの方がやり易いそうだ。その、パッと拡らける感じは「知らない家」の次に合うかも、と思って、試しにやってみたら、予想以上の感じがあった(当初は別の曲順にする予定だった)。まあもちろん「知らない家」で橋まで行ったから、次はそこから眺める、というのもある。
こういうことは、良くなかったことよりももっと、覚えておくべきことなのだろうが、それを次に活かすことは、反省することよりも難しいね。

2014.09.01 Mon

コメンタリー: 10. 知らない家

この曲のことは「遠近(おちこち)に」オフィシャルリーフレットにも書いているので、それにないことを少し。
元々言葉関係の表現は好きだが、自分でやるつもりなどさらさらなかった。今回のアルバムには最初からゲストを一切入れないつもりだったが一つだけずっと入れたいと思っていたものがあって、それは ECD のラップというか声だった。
さすがに歌詞まで丸投げするわけには行かないから、自分で書くしかない。友人の Manuel Bienvenu に「Good Luck Mr. Gorbachev」というリーディングの曲があり、こういうテイストを目指すなら歌詞を書くのもアリかと思った。
高野文子さんのマンガ「るきさん」に、自転車に乗っていて落としたせんべいのことを、自分にとってはすぐ近くだが「せんべいにとってはかなりの距離だ」と思いを馳せるシーンがある。そのセリフがなぜか自分の中の口癖のようになっていて、「A にとっては○○だが、B にとっては結構な距離だ」という A と B の組み合わせをいろいろ考えてみようというのがこの曲の歌詞の出発点だった。
そうしてできた歌詞をとりあえず自分の声で録音し、デモを ECD さんに聴かせたら「僕がやることには問題ないが、これは絶対北村がやった方が良い」と言って頑として譲らず、結局自分がやることになった。

これが自分でもまさかのリーディングをやることになった経緯だが、でもこの曲で本当にコメンタリーしたいことは歌詞ではなく音楽の方。リズムマシン 808 の「カウベル」の音色はヤン富田さんのジョンケージカヴァー「4分33秒」を待つまでもなく、自分にはこの音色を使う器がないと(笑)エマソロでは一切使わなかったのだけどついに使ってしまった。もはやそういうこだわりもどうでも良くなってきた … みたいなこと。
また意外にこの曲でかんばったつもりなのは、曲のコード感。もちろん、ロバートワイアットの「muddy mouth」に影響を受けている。
自分ではこの曲はレゲエのトースティングだと思っているので、バックトラック+リーディングという関係ではなく、声がなくても成り立つ曲にリーディングを足している形にしたつもりだ。先月(2014年8月)北海道ライジングサンからこの曲を(弾きながら語るという方法で)ライブで演奏し始めた。しっかり声を出しながらもどこかトラックに埋没する気持ちで、と、やりながら考えていることは普段楽器を演奏する時と意外に変わらないものだ、ということを始めて体験した。