エマソロに興味がある多くの人にとってはなじみの薄い名前かも知れないけど、エマソロは実は、キンクスから大きな影響を受けている。1960 年代から活躍するイギリスのバンドで、レイ・デイヴィスの名曲 “Waterloo Sunset” で歌われる風景は「知らない家」の後半にも出てくるし、「両大師橋の犬(両大師橋は上野駅近くの跨線橋。僕は勝手に Waterloo Station は上野駅のようなところだろうと想像している)」も、僕にとっては「waterlooモノ」の一曲だったりする。そしてこの曲、「窓から」というタイトルも “Waterloo Sunset” の一節 “Every day I look at the world from my window” から来ている。
「窓から」は「ロックンロールのはじまりは」の曲たちと同じ時期 -2015年の夏だったかな- にはもうできていた。「…はじまりは」には6曲しか入っていないのだから「窓から」も入れれば良かったと普通は思うだろう。僕もそのつもりだった。だけど、「…はじまりは」の準備を進めてゆくうち、収録曲内での「窓から」の位置が微妙になってきた。「…はじまりは」というアルバムに対する僕のイメージがどんどん「ざらっと」した、抜き差しならない感じのものになっていって、それを文章でも表そうとしていく一方で「窓から」は、人で例えると「いい人過ぎ」みたいな感じの立ち位置になって、ちょっと他の曲と並ばないかなあと思うようになってきた。「…はじまりは」がハードな曲ばかりという訳ではない。「中二階」のような調子イー曲もあるのに「窓から」は並べられなかった。バランスというのはそういうものなのかな。インディーズ(というか個人経営)の自由さというか、勝手をさせていただいて、結果「ロックンロールのはじまりは」は6曲+エッセイ+特殊ジャケットという形で完成した。
残された「窓から」。曲としては決して嫌いでなく、むしろ上手くできた方かなあと思っているくらいだから、これを眠らせておくのは良くない。たまたまエマソロ作品のディストリビュートをしてくれているウルトラ・ヴァイヴさんが新しく配信リリース専門レーベルを立ち上げるという話を聞き、そのラインナップに加えてもらうことで「…はじまりは」から間をおかずにこの曲を届けたいと思ったのが、今回のリリースのきっかけだ。アルバムには入らなかったけど、同じ頃にできているんだから「…はじまりは」ともつながりがあると思う。スピンオフとして聴いてくださっても良いし、こちらからエマソロに入ってフィジカルの作品に進んでくれても良い、そんなつもりで存在しているリリースです。
肝心の音楽のこと。古いカリプソやアフリカンジャズを中心にめちゃくちゃ幅広い音楽を発掘しているレーベル Honest Jon’s の名コンピレーション London is the Place to Me の、第2集だったかな、Sing the Blues という美しい曲があって、静かでもちゃんと流れているリズムがあって、全体はシンプルで、僕もそんな曲を作りたいと思ったのが発端だった(その目標はこの曲に限ったものでなく、すべての曲作りの上での目標だけど)。音楽としてはラテン・カリブ系になるのだろうけど、厳密に何のリズムを使っているのかはちょっとあいまいで、エマーソン脳内に存在する架空の音楽ジャンルということになるかもしれない。下手をするとうそっぽくなる恐れもあるやり方だが、ひとつひとつの要素〜例えばリズムパターン、コード、曲の流れのバランスなどが説得力を持てさえすれば、ジャンルとしてはヴァーチャルでも、伝わるものがリアルになるのではないかと今回は考えた。中間部分は何のジャンルだろう…じゃがたら?
リリース日に近かった今年2017年のフジロックではこの曲で大盛り上がりしてくれたのが、自分にとって大きな手応えになった。苗場食堂とお客さんに感謝です。
それで再びタイトルのこと。外では大嵐が吹いている。自分は本当は窓を蹴破ってそこに飛び込んでいかなきゃいけないし、飛び込みたい。一瞬外に出て暴れるんだけど、気がついたら自分はやはり内にいて、窓から外を見ていた。そんなストーリーも感じられる曲だけど、それは実は自分のことでもある。僕にはずっと、外側にコミットしたいと思いながら、同時に、窓を通して世界を見ているような感覚になる時がある。そんな自分がすごく嫌だったり、いつまでもそんなでいられるなよ、とも思うのだけど、同時にそれは自分にとっては、いろんなものを作ったり人と関係を持てたりすることの、案外基礎になっているのかもしれないと思うこともある。