Column

2016.11.30 Wed

コメンタリー:1. 時の話

「遠近(おちこち)に」の曲解説は一曲目だけを残しておいたが、最後の解説は次の作品がリリースされる時にしようと思っていた。「ロックンロールのはじまりは」のリリースが間近になった今、やっとこの「コメンタリー」シリーズを締めることができる。
 
「知らない家」のところでも書いた高野文子さんの漫画の中で一番好きなのが『棒がいっぽん』(大関泰幸監督によるスカートのMVにも出てきましたね)所収の「奥村さんのお茄子」で、そのテーマはあえて言葉にすれば「時間を隔てたどの一瞬とも、現在は繋がっている」ということになると思うけど、これは僭越ながらエマソロの全体を通していつも僕が表したいと思っていることでもある。ただまあエマソロの場合その言葉は「現在」よりも「隔たり」の方により重点が置かれている気もするけど(「奥村さんのお茄子」も同様か)。
 
今年(2016)でちょうど僕は松永孝義さんが亡くなった時の年齢になったけど、ヘヴィな低音のイメージのある松永さんの亡くなった時に僕がふと浮かべたイメージはなぜかそれとは全く逆で、ぜんぜん低音のないループが高い方へと繰り返し上っていくような、ふわふわ・きらきらしたものだった。ベースはバンドのパートの中で一番「時」を操れる楽器だから、そんな風に自分でイメージを作りたかったのかも知れない。
 
全く違う話になるがイギリスのドラマ(映画?)に『Stuart: A Life Backwards』というものがありその作品自体もとても良いのだが、「backwards」つまり時を遡って物語を進めてゆく方法、もちろんそれ自体はそう珍しくはないが、ものごとを backwards に語るということがなぜかずっと頭にあって、こんな曲のタイトルになったのだった。
 
「遠近(おちこち)に」ができて、エマソロの方向性が良くも悪くも絞られてゆく中で、一番聴いていたものがTrojanの名スカ以前/スカ/ロックステディコンピであるアナログ三枚組の『The Trojan Story』と、イギリスの BBC Radiophonic Workshop で1960年代に活躍した電子音楽家 デリア・ダービシャー(ただしこの方の音源は盤ではなくデータでしか持っていない。盤を買いたい〜)の2アイテムという、めちゃくちゃな組み合わせだった。もちろん理屈をつければレゲエは録音技術だけで言ったらブリティッシュ・サウンドのマナーに基づいているから、関連があると言えばあるけど、それよりもデリア・ダービシャーの音の、ふわふわしているのに時たま容赦なく現われるノイズのざらざらした感じが、こちらは長年接している初期ジャマイカ音楽のざらざら・ぴちっとした感じと、グルーブの違いがありながらも自分の中では並行して流れることができるような気がしたのだ。
 
そういうわけで「時の話」は「ロックンロールのはじまりは」に繋がっていったのだけど、「時の話」は僕の中では決してアバンギャルドな曲ではない。最後のコードはメジャーの6度だし、本当はちょっとたそがれて終わるような楽曲になっていると思っている。それも録音が終わり、ツアーで何度もこの曲をやってみて初めて気がついたことだけど。
 
しかしますます時を backwards に進めることになじんでくる年齢になって、それを表現することにはより優れたやり方を求められますよね。広瀬正「マイナス・ゼロ」のように、遡るのはお気楽にできても、前に進めるのは生涯をかけてやらなければいけないわけですからね。