最初、「遠近(おちこち)に」に続くリリースは「アナログか CD + 本」という形にしてみたいと思っていました。曲は少なく、スパッとした内容でひとまとまりのイメージが伝わるもの。
しかし、準備を進めるうちに、曲を増やしたくなり、特に「遠近(おちこち)に」にはなかった「転がりながら前へ進む」系の曲が欲しくて、いろいろやった結果、この曲ができました。
曲自体は前向きなものだけど、この間の世間や自分の周りの状況を反映してか、音の手触りはざらっとしたものになったと思います。
そしてこの頃(2016年の頭)から、自分の見るもの聴くものが「これ、ロックンロールのはじまりを指してるんじゃない?」という感じのすることが増えて、今の形のアルバムに至ったわけです。
「ロックンロールのはじまり」という言葉についてはCDの文章を読んでいただければ分りますが、決して明るいものではないです。「帰り道の本」は、僕の文章の中では「ロックンロールのはじまりは」と一種、対になって出てくるような、あるいはぐるっと回って元のところに戻ってきたような位置にあるかもしれません。
自分が一番基本にあると思うスカ/ロックステディ/初期レゲエといったリズムで曲を作ったのは前作の「新しい約束」と一緒ですが、今回はさらに、グルーヴの個性をつかさどる役割の(スネアでもキックでもなく)ハイハットとベースがより強く表現できたかなと思ってます。ハイハットはRoland System 100Mという、1976年に作られて発売時に新品で親に買ってもらって以来、ずっと現役で使っているシンセで作りました。
ジャッキー・ミットーの『Reggae Magic』という、彼がカナダに移住していた時に作られたアルバムが好きなのですが、リズム隊はレゲエのミュージシャンではないので、彼の作品として最初にオススメできるものではありません。『Macka Fat』とか、太いグルーヴとキャッチーなメロディーのアルバムを堪能した後で聴くべきアルバムですが、そのイージーリスニング具合は、やっぱり好きなんですよねえ。
イージーリスニングの一種=オルガンものとしてジャッキー・ミットーを聴くか、レゲエ/ロックステディのグルーブがあって成り立つ音楽が、その時代のトレンドとしてイージーリスニングを取りあげたのか … 僕は断然後者の見解に立っていますが、『Reggae Magic』においてその境界はどうでもよくて、カナダのミュージシャンの演奏、特にストリングスがすばらしく、そんなこともあってこの曲にはシンセのストリングスが入っているのです。
それ以外の音楽の要素としては(オリジナルな曲は必ず要素の「ミックス」によって成立するというのが僕の大事な考え方です)、アメリカのファンキージャズのトランペット奏者、リー・モーガンのライブのように、長尺で魅力的なコード進行がループしてゆく内に序々にテンションが上がってゆく、そんな曲をやりたいという目標もありました。なのでライブでは、この曲はもう少し長めにやってみたいと思っています。
この曲のオルガンはその世界だけで通用する用語で「メンフィス・スタイル」と呼ばれる、レズリーの回転が止まる/早い、の2モード(通常は遅く回転する/早い、の2モード)で録られているので、回転「止まる」の部分は歪んで広がりのない、ざらっとした音色になっています。この広がりの「ない」感じが僕のやりたかったことなのですが(今日びの、プラグイン等で作られるオルガン音色の価値観とは逆だと思います)、それはやはり、グルーヴのことを考えるとこういう感じになってしまうんですよね。それが上手く伝わっていたら、ありがたいと思います。