こうして「ブルースのように揺れながら、テリー・ライリーのように繰り返す」という僕の演奏方針ができた。タイミングの「読み」を求められる、難しい課題だ。mmmには、僕がいてもいなくても同じように、自由に演奏してほしい(これもmmm with エマーソンの演奏において常に言っていること)。だから録音はクリック(一定のテンポを刻む、メトロノームのようなもの)を使わない、9分間の一発勝負である。二人のタイム感をつなぐ上では、mmmの弾くエレキギターが役に立った。ポローンと弾いているだけに聴こえるこのギターも、歌の合いの手として、曲の流れをとてもよく表現している。オルガンは長年使っているヤマハのYC-10、足鍵盤でシンセベースと、アルペジエーターやノイズ以外はライブで演奏している。
この時点では、二人ともmmm with エマーソンがこの先アルバムを作ったりヨーロッパツアーをするようになるとは思っていなくて、この曲もとりあえず一曲完成させよう、という感じだったから、mmmにとってこの曲の歌詞はどちらかというと僕に「頼まれて作った」側面が強かったのではないかと思う。しかし、mmmに限ったことではないが、仕事というのは往々にして、立候補して意識的に「自分を表現」したものよりも、人に「頼まれたからやっただけ」のものの方が、素晴らしい結果を生むことがある。この曲もいい例で、単語の響きと流れの良さ、あえて古いポップソングのような情景のつづり方など、mmmの歌詞の中でもかなりの美しさを誇るものだと思う。
インストにも歌の曲にもなる曲だが、僕が演奏する内容はソロの時もmmmと演奏する時も変わらない。僕は常にメロディを弾いているから、mmm with エマーソンの時は二人ともメロディを担当することになる。二人しかいないのにメロディ二本というのはなんだか非効率だが、「歌のバックの時は伴奏に徹します」というスマートなやり方に僕はどうも違和感があって、mmmが歌っていてもメロディを弾くのが、何というかこの曲に対する礼儀のような気がしている。
mmmのソロには、ギターで弾き語りをするスタイルの他に、シンセを使ったエレクトロニックなライブもある。これがなかなか良くて、mmm with エマーソンでもその要素を生かして何かできないかなと思っていた。Astronomerを録音したのはレコーディングも押し詰まった頃で、このスタイルでのやり方にはまだまだ改良の余地があったかもしれないが、僕が勝手に「B面」と考えているこのアルバムの「夏至」以降の流れにおいて、この曲は大事な位置を占めている。
その次にmmm with エマーソンで大阪に行ったのは、フリースペース&CDショップHOPKENの閉店イベントだった。エマーソンもmmmもお店の初期からお世話になった、ポリシーのある素晴らしいスペース。閉店イベント自体もすばらしいもので(記録はこちら)、たくさんのアーティストがいい演奏をした。ライブが終わってお店が閉まってもホテルに戻る気がしなかったので、ライブで会った電子音楽家YPYやその周りの人々と、夜中の大阪の街をぶらっと遊んだ。コンビニの駐車場から通りの向こうを眺めると、ここにも巨人が隠れていそうな暗闇があった。西成だ。深夜までいろいろな話をしてホテルに戻ると夜が明けかけていて、空は青とも赤ともつかない、見たことのない色をしていた。ちょうど今から一年前、2019年6月のことだ。
さらに話は飛ぶ。昨年10月にライブで訪れたケルンで、現地のレコード店a-musikをやっているフランクさんからNoise of Cologneという、同地での実験音楽や電子音楽の歴史をたぐるコンピレーションCDをいただいた。内容も良かったが、カヴァーに使われている、我々のイメージするケルンとはまた違った日常そのままの「退屈」な風景を切り取った写真も印象に残った。ライナーノーツもどこか「俺らの街」を拠りどころにしているようで、本来は地理や歴史の括りから自由になるために生まれた実験音楽や電子音楽が、ケルンでも大阪でもこんな風にローカルに存在していることに、僕もなんだか愛着のようなものを感じた。
CHASING GIANTS セルフレビュー (6) 夏至 -You Don’t Know Me At All-
海外で評価され、ヨーロッパツアーのきっかけともなったRock Your Babyに次ぐ「グルーヴもの」の新曲。しかし単なる「次」ではなく、Rock Your Babyよりもはるかに込み入って、それぞれの「妄想」が十分に現れる曲になった。そのわけのひとつにはmmmの歌詞、もうひとつには僕の、レゲエを要素として音楽を作る上でのこだわりがある。
以前から僕は、カエターノ・ヴェローゾのアルバムTransaに入っているNine Out of Tenという曲の雰囲気で何か作れないかと思っていた。カエターノのロンドン亡命中に作られ、「ポートベローを歩いていたら、レゲエが聴こえてきた」と英語で歌われる曲(例によって訳は対訳ではなく北村の想像訳)。その心情は一曲前のYou Don’t Know Meという曲のタイトルにも表れていて、曲そのものはレゲエでないことがまた良かった(イントロで一瞬だけレゲエでも演奏されている。この部分のコード進行は「夏至」のサビに影響を与えている)。そんなことを思いながら、この曲が作られた1970年代初頭に聴こえるレゲエと言えばルーツレゲエではなくロックステディ、ロックステディと言えばジャッキー・ミットゥーのDrum Song、という連想で「夏至」のベースラインができていった。(正確にはDrum Songは1968年で、カエターノが聴いたであろう初期レゲエよりも少し古い。時代考証を何より大事にする方には申し訳ないけど、僕はあくまで音で思考しているのでその辺は意外といい加減だ。)
だから、録音時には既に「でき上がっていた」この曲、見えないゴールをアルバムの他の曲と並べて聴いた時には、ちょっと収まりの悪さを感じていた。レコーディング末期の、お互いが自分をさらけ出してアイデアをふり絞っているような演奏とは違い、どこか「mmm with エマーソンって、こんなものかな」とわざわざ設定した姿に向かって演奏しているような雰囲気がある。 …と、アルバムをまとめた頃には、思っていた。しかし、今聴いてみると、どうして歌も演奏も素晴らしい。特に声には、作業が連続した時期とはまた違った伸びがある。僕についても同様で、足鍵盤を使うというアイデアの自由さとそのグルーヴ感は、2019年には出せなかったかもしれない。
このアルバムの前年2018年に、mmm with エマーソンはカセットテープをリリースしている。すべてオリジナルからなる4曲入りで、うち3曲はCHASING GIANTSにも収録されている。ライブ会場限定での販売だった(現在は通販もしています)。EU・UKツアーが決まって音源を作ることにした当初は、この4曲を中心に何曲か加えればそれでアルバムになるだろうと思っていた。しかしある時点から、これから作ろうとしているものは、カセットとは曲数だけでなく質的にもまったく違ったものになるだろうという気がしてきた。そう思い始めたのは、2019年の春にmmmからこの曲、Chasing Giantsのデモを聴かせてもらった時だった。
もうひとり「ただ数えている」人がいる。ゲストドラマーである菅沼雄太(僕はEGO-WRAPPIN’のサポートを一緒にした時の癖で「すがちゃん」と呼んでしまうので、以下すがちゃん)だ。 mmm with エマーソンは主にサンプラーシーケンサーを使ってドラムの音を出しているが、特にそれを理想としているわけではない。しかしまた、一度ドラマーに演奏してもらったら、それが良い結果であるほど「あと戻りはできなくなる」ことも分かっていたから、アルバムに生演奏を加えるべきか、僕は迷っていた。しかしこの曲の準備が進むにつれて、そろそろ「潮時」かなと思った。人選は悩まなかった。mmmも坂本慎太郎バンドですがちゃんの演奏は知っていたから、話は早かった。あとは、演奏の希望をどう伝えるか。
冒頭のハイハットに対する僕のイメージはずばり、これだった。 João Gilberto / João Gilberto (三月の水)1973 フルセットで入ってからのドラムには特にお手本はないが、僕は基本、パンキッシュかつグルーヴのあるドラムが好きだから、その王道を行ってくれると信じていた。あえて僕が理想とするドラマーを挙げるなら、Ian Dury and the Blockheadsのドラマー、Charlie Charlesがそのナンバーワンだ。 New Boots And Panties!! / Ian Dury 1977 我々の希望を彼らしいフィルターに通して、すがちゃんはアルバムで聴ける通りの丁寧な演奏をしてくれた。嬉しい。