COVERS 2003 は全曲がカヴァーです。その理由は、当時それほどオリジナル曲を作っていなかったというのもありますが、やはり第一に、Jackie Mittoo を始めとするレゲエ・ロックステディのインスト(器楽演奏)の多くがその時代に流行った曲のカヴァーで、その「味」が僕にとっては何とも言えない良いものだからです。この好みだけは何年経っても変わりませんね。
ただし、僕の録音はストレートにロックステディインストをやっているわけではありません。6曲中の2曲は直接 Jackie Mittoo のカヴァーですが、それらを含めてどの曲もさまざまな要素、僕がその曲を録音するにあたってあちこち「想像の寄り道」をしたことが反映されています。ロックステディのミュージシャン達の作った音楽スタイルを尊敬してその鍵となる部分を押さえることは大事ですが、僕は、要素としてスタイルを踏襲すること以上に、彼らの音楽作りの姿勢そのものを尊敬して踏まえることの方が大事だと思ってます。彼らのカヴァーはコード付けも謎の部分があり、メロディも時に「うろ覚え」なんですが、それでなければ出せないグルーヴがあり、表したい気持ちがあります。それを単にキッチュなスタイルとしてマニアックに楽しむのか、それとも今ここで暮らしている我々の気持ちに訴える音楽作りに活かすのか、ミュージシャンとしての姿勢が大いに問われるポイントです。当然僕は後者をめざしていて、カヴァー曲のアレンジが、他人の知らない音楽知識の引き出しを誇示するようなものになるのは最悪だと思っています。
しかしながら、古今東西の音楽情報とその価値基準(リファレンス)にまみれて暮らしている今の我々ミュージシャンにとって、いくら Jackie Mittoo が “Theme from a Summer Place” を学校のピアノで弾いた瞬間のような気持ちになりたいと思っても(僕は本当に、真剣にその気持ちになりたいです)、今スタジオで同じアレンジで “Theme from a Summer Place” をやればそうなれるという訳もなく、ではどうしたらいいのか……というところから、「想像の寄り道」が始まるのです。
そんな「寄り道」ぐあいは時に、オリジナル曲よりもカヴァー曲の方がより分かりやすく現れるかもしれません。何と言ってもオリジナル曲には「自分が作った」という意識が重くのしかかっているので、それによって「寄り道」は見えづらくなっている場合があるからです。その意味ではカヴァー曲というものには、オリジナル曲よりもより「純粋に」音楽が表現されているのかも知れません。しかしそのことは、オリジナル曲を作ることの価値を下げるものでは全くないと思います。そもそも僕は、音楽に「絶対的な純粋さ」みたいなものをあまり求めません。今日これを言っておかないと自分がおかしくなりそうだからこんな曲ができちゃったというようなものは、いくら自意識にまみれていようと、「純粋」でなかろうと、かけがえのない音楽だと思っています。ようはそれをどう形にするか、人に伝えるかということが、ミュージシャンとして仕事をする上で最も大事なポイントになってくるのです。