Column

2017.09.14 Thu

配信リリース曲セルフレビュー「雨の坂の足許」

なんとも情けない話だけど、リントン・クゥエシ・ジョンソンの Bass Culture をずっと聴いてきたのに、ごく最近になって初めて気づいたことがある。
アルバムのタイトル曲の冒頭 “Musik of blood black…” と歌いだす中でベースがダダダ…と下降してゆくのは、ジャケットにある通り、地下室への階段を降りてゆく様子を表現していたんだ!
なーんだ、降りてゆくことを表現するためには音が下降すればいいんだと、単純すぎる発見をしたのだった。
このところ、ラヴァーズロックのドキュメンタリー Blues Party を観たり、カクバリズムのラジオ番組で “Bass Culture” をかけたり、1970 年代のイギリスのレゲエが自分の中で何度目かの流行をしたので、よしそれでは、エマソロにはありそうでなかったマイナーキーのレゲエにしてみようと思ってできたのがこの曲で、だから下降するベースラインが過剰に出てくる。
下降といえばマイナーキーのブルースがある。マイナーキーのブルース進行は何というか教科書っぽくなるので微妙なんだけど、大好きなフランスのオルガン奏者 Eddy Louiss のやっているものはそんな感じがなくて、暗さと光の加減がすばらしく、そのこともあってブリッジ部分はマイナーブルースのスタンダード的なコード進行になっている(スカタライツの “Confucius” でもある)。
 
今年の梅雨の季節には、なぜかたくさんの坂を歩いた。エマソロツアーで訪れた酒田や今治や呉、それから夜の国会前。雨の中で足許に気をつけながらうつむいて歩いていると、踏みしめている足の下には何があるのだろうという思いにとらわれる。それは意外に力強いものだ。下降するイメージには”Bass Culture” の冒頭の、階段の下からあふれてくるベースの音のように、何かが沸き上がってくるイメージが組になっているような気がする。
 
ライブでは間奏のシンセモジュレーションによるノイズを、自作の「導電インクの迷路」で演奏する試みも始めた。これについてはまた別記事にするけど、何を描いても電気さえ通せばいい絵の図柄を「迷路」にした理由には、この曲でのモジュレーションに迷路から脱出しようとするような感じがあるから、というのも、ちょっとだけある。
 
Linton Kwesi Johnson のサイト