Column

2017.07.28 Fri

新曲「窓から」「雨の坂の足許」を配信でリリースします。

エマソロの新しいリリースをお知らせします。
新曲の「窓から」と「雨の坂の足許」を、2017年8月2日(水)に配信でリリースします!
詳しくはこちら、「Emerson Solo」メニューの記事をご覧ください。

2017.09.18 Mon

配信リリース曲セルフレビュー「窓から」

エマソロに興味がある多くの人にとってはなじみの薄い名前かも知れないけど、エマソロは実は、キンクスから大きな影響を受けている。1960 年代から活躍するイギリスのバンドで、レイ・デイヴィスの名曲 “Waterloo Sunset” で歌われる風景は「知らない家」の後半にも出てくるし、「両大師橋の犬(両大師橋は上野駅近くの跨線橋。僕は勝手に Waterloo Station は上野駅のようなところだろうと想像している)」も、僕にとっては「waterlooモノ」の一曲だったりする。そしてこの曲、「窓から」というタイトルも “Waterloo Sunset” の一節 “Every day I look at the world from my window” から来ている。
 
「窓から」は「ロックンロールのはじまりは」の曲たちと同じ時期 -2015年の夏だったかな- にはもうできていた。「…はじまりは」には6曲しか入っていないのだから「窓から」も入れれば良かったと普通は思うだろう。僕もそのつもりだった。だけど、「…はじまりは」の準備を進めてゆくうち、収録曲内での「窓から」の位置が微妙になってきた。「…はじまりは」というアルバムに対する僕のイメージがどんどん「ざらっと」した、抜き差しならない感じのものになっていって、それを文章でも表そうとしていく一方で「窓から」は、人で例えると「いい人過ぎ」みたいな感じの立ち位置になって、ちょっと他の曲と並ばないかなあと思うようになってきた。「…はじまりは」がハードな曲ばかりという訳ではない。「中二階」のような調子イー曲もあるのに「窓から」は並べられなかった。バランスというのはそういうものなのかな。インディーズ(というか個人経営)の自由さというか、勝手をさせていただいて、結果「ロックンロールのはじまりは」は6曲+エッセイ+特殊ジャケットという形で完成した。
 
残された「窓から」。曲としては決して嫌いでなく、むしろ上手くできた方かなあと思っているくらいだから、これを眠らせておくのは良くない。たまたまエマソロ作品のディストリビュートをしてくれているウルトラ・ヴァイヴさんが新しく配信リリース専門レーベルを立ち上げるという話を聞き、そのラインナップに加えてもらうことで「…はじまりは」から間をおかずにこの曲を届けたいと思ったのが、今回のリリースのきっかけだ。アルバムには入らなかったけど、同じ頃にできているんだから「…はじまりは」ともつながりがあると思う。スピンオフとして聴いてくださっても良いし、こちらからエマソロに入ってフィジカルの作品に進んでくれても良い、そんなつもりで存在しているリリースです。
 
肝心の音楽のこと。古いカリプソやアフリカンジャズを中心にめちゃくちゃ幅広い音楽を発掘しているレーベル Honest Jon’s の名コンピレーション London is the Place to Me の、第2集だったかな、Sing the Blues という美しい曲があって、静かでもちゃんと流れているリズムがあって、全体はシンプルで、僕もそんな曲を作りたいと思ったのが発端だった(その目標はこの曲に限ったものでなく、すべての曲作りの上での目標だけど)。音楽としてはラテン・カリブ系になるのだろうけど、厳密に何のリズムを使っているのかはちょっとあいまいで、エマーソン脳内に存在する架空の音楽ジャンルということになるかもしれない。下手をするとうそっぽくなる恐れもあるやり方だが、ひとつひとつの要素〜例えばリズムパターン、コード、曲の流れのバランスなどが説得力を持てさえすれば、ジャンルとしてはヴァーチャルでも、伝わるものがリアルになるのではないかと今回は考えた。中間部分は何のジャンルだろう…じゃがたら?
リリース日に近かった今年2017年のフジロックではこの曲で大盛り上がりしてくれたのが、自分にとって大きな手応えになった。苗場食堂とお客さんに感謝です。
 
それで再びタイトルのこと。外では大嵐が吹いている。自分は本当は窓を蹴破ってそこに飛び込んでいかなきゃいけないし、飛び込みたい。一瞬外に出て暴れるんだけど、気がついたら自分はやはり内にいて、窓から外を見ていた。そんなストーリーも感じられる曲だけど、それは実は自分のことでもある。僕にはずっと、外側にコミットしたいと思いながら、同時に、窓を通して世界を見ているような感覚になる時がある。そんな自分がすごく嫌だったり、いつまでもそんなでいられるなよ、とも思うのだけど、同時にそれは自分にとっては、いろんなものを作ったり人と関係を持てたりすることの、案外基礎になっているのかもしれないと思うこともある。

2017.09.14 Thu

配信リリース曲セルフレビュー「雨の坂の足許」

なんとも情けない話だけど、リントン・クゥエシ・ジョンソンの Bass Culture をずっと聴いてきたのに、ごく最近になって初めて気づいたことがある。
アルバムのタイトル曲の冒頭 “Musik of blood black…” と歌いだす中でベースがダダダ…と下降してゆくのは、ジャケットにある通り、地下室への階段を降りてゆく様子を表現していたんだ!
なーんだ、降りてゆくことを表現するためには音が下降すればいいんだと、単純すぎる発見をしたのだった。
このところ、ラヴァーズロックのドキュメンタリー Blues Party を観たり、カクバリズムのラジオ番組で “Bass Culture” をかけたり、1970 年代のイギリスのレゲエが自分の中で何度目かの流行をしたので、よしそれでは、エマソロにはありそうでなかったマイナーキーのレゲエにしてみようと思ってできたのがこの曲で、だから下降するベースラインが過剰に出てくる。
下降といえばマイナーキーのブルースがある。マイナーキーのブルース進行は何というか教科書っぽくなるので微妙なんだけど、大好きなフランスのオルガン奏者 Eddy Louiss のやっているものはそんな感じがなくて、暗さと光の加減がすばらしく、そのこともあってブリッジ部分はマイナーブルースのスタンダード的なコード進行になっている(スカタライツの “Confucius” でもある)。
 
今年の梅雨の季節には、なぜかたくさんの坂を歩いた。エマソロツアーで訪れた酒田や今治や呉、それから夜の国会前。雨の中で足許に気をつけながらうつむいて歩いていると、踏みしめている足の下には何があるのだろうという思いにとらわれる。それは意外に力強いものだ。下降するイメージには”Bass Culture” の冒頭の、階段の下からあふれてくるベースの音のように、何かが沸き上がってくるイメージが組になっているような気がする。
 
ライブでは間奏のシンセモジュレーションによるノイズを、自作の「導電インクの迷路」で演奏する試みも始めた。これについてはまた別記事にするけど、何を描いても電気さえ通せばいい絵の図柄を「迷路」にした理由には、この曲でのモジュレーションに迷路から脱出しようとするような感じがあるから、というのも、ちょっとだけある。
 
Linton Kwesi Johnson のサイト

2017.04.04 Tue

2017年4~5月のライブ

1月末の大阪「ひとりサーキットin堀江」から始まって3月の秋田まで続いた「ロックンロールのはじまりは」ツアー、来てくれた皆様そして準備してくれた皆様本当にありがとうございました!いろいろな試みをしながらのライブでしたが自分にも力になりました。
でも「はじまりは」ツアーはまだ終わりません。5月6月にも各地にうかがいます。都内、関西でもワンマン、イベント参加といろいろなライブがありますのでどうぞご期待ください。
近いライブをまとめて、簡易フライヤにしてみました。白黒で、写真と日付と場所だけという、ちょっと’80年代風なもの。
 
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写真:伊藤菜々子

2017.04.01 Sat

「ロックンロールのはじまりは」から7インチアナログ盤をリリースします。

2016年12月に発売し、ご好評をいただいているエマーソン北村の6曲入りアルバム+エッセイ「ロックンロールのはじまりは」から、7インチアナログ盤をシングルカットします!詳しくはこちらの記事で。
http://www.emersonkitamura.com/solo/2017/04/384/
 
(追記:2017年9月)
この7インチ「スピニング・ホイール c/w リメンバー」は、9月上旬、北村自身の手持ちの在庫を完売しました。レコ屋さんによっては若干の在庫もある可能性がありますが、こちらでは把握できないので、各レコ屋さんにお問い合わせください。ありがとうございました。

2017.01.15 Sun

セルフプレビュー6「中二階」

「ロックンロールのはじまりは」のラストトラック「中二階」の話です。
 
「ロックンロールのはじまりは」のブックレットに収録されている文章の中で最も触れられて「いない」のが、スカやロックステディ、レゲエについてだ。歴史的な順序としては、アメリカではロックンロールを生んだジャンプ・ジャズやリズム・アンド・プルースといったその同じ音楽がジャマイカではスカを生んだわけだから、それは「ロックンロール」ではあっても「はじまり」とは言えないので、なかなか話に登場しなかったのだ。
 
しかし、やはり僕が一番好きなのは「スカやレゲエのはじまりは」というべき音楽で、数年前に出た『The Story of Blue Beat』というコンピレーションはよく聴いたし、「遠近(おちこち)に」発売後のツアーの車中で一番聴いていたのは『The Trojan Story』という、ジャマイカンR&Bからロックステディに至る、基本中の基本みたいな盤だった。大体、僕は仕事に終わりが見えてくるとブルース進行の曲が作りたくなってくる癖があるようで、1993年に作ったカバーソロアルバム(トラックは他の人に作ってもらっているからエマソロとは呼べないかもしれない)でも最後の曲は「Blue Gold」というブルース進行のオルガンものだった(廃盤)。
 
そんなわけでこの曲は「遠近(おちこち)に」ツアーの末期に原案ができていて、最終地の京都・磔磔では今とは別物だけど、原型となる曲をライブで演奏したりもした。ジョージー・フェイムの『Rhythm and Blue-Beat』のように、裏打ちのパートもピアノではなくオルガンでやってしまうようなサウンド。そんな基本のロッキン・オルガンに対してトラックはデニス・ボーヴェル’81年のソロアルバム『Brain Damage』収録「Run Away」のような、硬い硬い音色でシャッフルスカをやっている、というサウンドにしたかった。そして、エマソロには珍しく(?)仕上がりもその通りのサウンドになっている。
 
「中二階」というタイトルについて。そのツアーで盛岡に行く時、たまたま、普段より少しだけ高めのホテルがバーゲンになっていたので、嬉々として予約した。実際、古い建物だがきちんと手入れされた良いホテルだった。日曜の朝にお茶を飲んだそのラウンジは、石を貼った階段の先が中二階になっていて、差し込む光と少し厚着をした人達の集う様子が、何か、とても良かった。「遠近(おちこち)に」にも「10時の手帖」という、石造りの踊り場をイメージした曲があって、ミックス的には「石→反響→リバーブ」という連想が働くサウンドでもある。
 
なぜか僕は中二階に「弱い」。光線の加減もあってか、石で作られていても柔らかな、何かとても「生々しい」ものを感じるのだ。そして僕の想像は、敗戦直後の建築に関する本で見た、ある書店の中二階の写真に飛ぶ。バラックのような建物にあって、その中二階には光が満ちていて、苦労して入荷された本を求める人達が集まっていた。中二階だから感じられる、その生々しさ。それは「ロックンロールのはじまり」に対応するイメージなのだ…その先はCD「ロックンロールのはじまりは」のブックレットに書いた僕の文章につながるので、ぜひ盤を買って読んでいただけたらと思います。
 
6曲分のセルフプレビュー、読んでくれてありがとうございました!
 

そのホテルのエレベータ

morioka

2017.01.15 Sun

セルフプレビュー5「リメンバー」

リメンバー (Remember) はエマソロのカバー中最も古くから演奏していた曲のひとつで、「ロックンロールのはじまりは」収録曲の中では唯一2016年に制作されたものではなく、2009年から2010年にかけて録音されていたのに「遠近(おちこち)に」には収録曲のバランス上から収録されなかったといういきさつを持つ曲だ。
 
僕が初めてこの曲に出会ったのはジャズピアニスト、セロニアス・モンクの「Alone in San Francisco」。このアルバムで聴けるピアノの音が世の中のピアノの音の中で一番好きだと思うくらい僕にとって大事な演奏だ。作曲したのはアーヴィング・バーリン。1910年代から40年代にかけてアメリカらしい素敵なポピュラーソングをたくさん書いた作曲家だ。彼の曲は明快で機転が利いていて、その明快さはロシアからの移民である彼が他の移民達とコミュニケートする上で必要な明快さと同じものであり、機転の方は逆に僕の印象では多分彼のルーツの音楽=クレヅマと通じているのではないかと思う。僕らがいいなあと思う「アメリカらしさ」とはこのような移民達が築いてきたものであることは間違いないのだ。
 
ただしエマソロがカバーするとなると、ただのカバーでは終わらない。意図しているのではなくて、曲のことを思っているうちにいろんな想像が入り込んできて、それをミックスしてしまうからだ。まずリズム。なんといってもリズム。12/8拍子だがトリッキーにしたかったのではなく、ずばり、シモン・ディアスの「Tonada De Luna Llena」のようにしたかったのだ。僕はこの曲をカエターノ・ヴェローゾ『Fina Estampa』のヴァージョンで知った。このような、一期一会系のものにしたかったのだ。だけど僕はトレスも何も弾けない。ならばいっそのこと、これをアナログシンセのプログラミングでやってみようと思い立った。
 
アナログシンセのプログラミングというのは、MIDIなどデジタルで音楽を自動演奏する方法がなかった時代、シンセサイザーとアナログシーケンサーによる幾パートもの自動演奏をテープ上で同期させて多重録音してゆく方法のこと。その基本的な考え方というのは例えば、一曲を演奏するために鳴らされるすべての音は、音程を縦軸、時間を横軸とするグラフに収めることができるということだ。逆に、どの軸にどの音が鳴るかをあらかじめ設定してしまえば、実時間の頭から終わりまでを順番に演奏するかわりに、時間軸上のどこからでも曲を作っていける。絵をいくつかの版に分けて一色ずつ刷ってゆく版画に似ているかもしれない。ただしデジタルの「打ち込み」とは違って、アナログのプログラミングは膨大な作業を必要とする。せっかくだから、その工程を書いておくと:
 
(1)まずアレンジをして、一曲のなかで鳴るすべての音のタイミングと音程を決める。頭で覚えても良いが譜面を書く方がラクだ。
(2)マスターとなる時間軸を作る。僕の場合は TR-808(音は鳴っていないのにこんなところでも活躍している)の音で最小単位の音符(一小節を24分割している)を連打させ、録音する(録音自体はパソコンで行っている)。これには音程の情報はなく、クリック音がカカカカカカカと言っているだけである。
(3)僕のアナログシーケンサは一度に最大8音分のプログラミングしかできない。一小節が24に分割されているとしたら例えば、最小単位8個分のフレーズを3回ループさせる、6音のフレーズを4回ループさせる、最小単位2個分の長さで6音のフレーズを2回ループさせる、、などのことができる。休符も作れるからリズムを生み出すことができる。また例えば最小単位2個分のタイミングをつくるためには、808のクリックを半分に間引いたものを作る。
(4)このようにして、最小単位3個分、4個分、6個分で音を演奏するフレーズの、発音タイミングだけの情報は作れた。それぞれを同じ時間軸の中で別々にループさせたら、ポリリズムが生まれる。例えば最小単位4個分のリズムは一小節を6つに分割するから、3拍子2回分のフレーズにも聴こえるし、4拍子の中で付点8分音符が演奏されているようにも聴こえる。逆に最小単位3個分のリズムは4拍子にも聴こえるし、3拍子のウラに入っているフレーズのようにも聴こえる。最小単位6個分の音符はそれらの公倍数だから、オンのリズムを担当する。
(5)次は音程について。一度のプログラムではひとつの発音タイミングに対して一つの音程しか設定できない(音程は、シーケンサーのつまみで電圧を与えて設定する。鍵盤は、まれにしか使わない)から、曲に登場するひとつのコードのフレーズを作り、それを一曲通して録音したら、次のコードのフレーズをプログラミングして一曲通して録音する…という作業を、コードの数の分だけ繰り返して行う。コードの共通音を多用したフレーズの方が、作業はラクになる。
(6)(5)の作業を(4)の各リズムパートのそれぞれについて、繰り返しプログラミングしては録音する。
 
… 以上、ご苦労様でした。そしてなぜそんなことをしたかだが、もちろんシンセの先人達を尊敬してというのはあるが、2009年の時点でのその理由は、レイ・ハラカミくんだった。生前にはあまり言う機会がなかったが、大好きなアーティストなのだ。彼がMIDIでコツコツとプログラムするなら、僕はアナログシンセでやってみようというわけだ。やってみて思ったことは、このようにノンリニアに(実時間に沿わずに)音楽を作ると、よりベースの大切さが実感されてくるということだった。そういえば京都KBSホールでハラカミくんのライブを観たときも、この人の音楽にベースはとても大切なんだと感じたなあ。
 
こうやってできた「リメンバー」を聴いてくれた人(TUCKER)から、ヨーロッパの昔の音楽みたいだという感想をもらった。伴奏トラックの話ばかりで忘れていたが、メロディーのオルガンについては、昔から好きなスウェーデンのSagor&Swingの影響があるが(エマソロの全般が彼らの影響下にある)、もしその感想が、アーヴィング・バーリンの、ルーツの感覚を伝えられたね、という意味であったら、これ以上嬉しいことはない。そしてなぜこの曲を「遠近(おちこち)に」収録曲から落とし、「ロックンロールのはじまりは」に収録したのか、自分でも「勘で」としか言いようがないのだが、そのことも活かされていたらありがたいなと思う。これは「ロックンロールのはじまりは」の「裏の推し曲」だから。
 
monk

2017.01.14 Sat

セルフプレビュー4「スピニング・ホイール」

自分が書いた曲のアレンジは、どうしても保守的になりがちだ。「作った時の意図」のようなものが、思い切った変更を加えるのに邪魔をしてしまうからかなあ。それに比べてカヴァー(他人の書いた曲)は曲の意味を純粋に音として捉えやすいから、より自由な気持ちでアレンジすることができるかもしれない。「ロックンロールのはじまりは」もここから2曲、アレンジ面では「キャラ立ち」したカヴァーが続きます。
 
「スピニング・ホイール」(Spinning Wheel)はアメリカのバンド Blood, Sweat & Tears が 1969 年にリリースした曲。ブラスロックって言うのかな、当時のプログレッシブなロックのひとつだと思うけど、正直そのジャンルの音楽には詳しくない(名前がエマーソンなのに…)。ではなぜカヴァーしたかというと、年齢的に、リアルタイムで聴いたことのある最も古い曲のひとつだから。聴いた場所の記憶はおぼろげながら、上野駅の食堂。恒例の北海道→関西の移動途中だった。ただし歌入りではなくインストだったように思う。あるいは、このようなものだったかもしれない。当時はこのような曲が単なる「洋楽」として、結構普通に街中でかかっていたと思う。コード進行も面白くて、僕の中ではヘンリー・マンシーニの「小象の行進」とかと同じ記憶の引き出しに入っている。最近「Tinker Tailor Soldier Spy」という映画を観たら、その中でもこの曲が使われていた(ただし歌はサミー・デイヴィス・Jr.。ここでもまたカヴァーだ)。
 
それで、カヴァーするにあたっていろいろなリズムを試していたのだが(ほとんどの場合、アレンジの方針はリズムから)、突然「シャンガンエレクトロにしよう!」と思い立った。シャンガンエレクトロはアフリカのチープな打ち込み音楽で、イギリスの Honest Jons レーベルからコンピレーションが出ている、程度の知識しかないのだが、そのグルーブ感と文字通りの「速さ」、そしてそれで踊る動画のすごさで大きな印象を受けていた。改めて言うまでもないがカシオトーンによるジャマイカのリディム「スレンテン」から始まってインドネシアのポップス、そして韓国のポンチャック(これについてはTUCKERの素晴らしいレポートあり)まで、チープというか、きちんと言うと「安い機材の音を素晴らしいグルーブに読み替えることのできる人間のアイデアの力」は、真剣に尊敬している。DJ ではないバンド系のミュージシャンと会話していて「シャンガンエレクトロ好きでしょ」と言ってすぐに通じたのはneco眠るだけだったけど…
 
もうひとつの主人公はヤオヤ=TR-808だ。最近映画にもなったこのリズムマシンに最初に出会ったのは「暗黒大陸じゃがたら」の「南蛮渡来」だ。当時僕はまだ音楽をやるとも決めていない学生で、もちろん後でこのバンドに参加するなどとは思ってもいない。しかしニューウエーブ全盛の中で、英米のロックとは違う音楽に根ざしたダブやアフロで、機械的なスクエアなビートがグルーヴを生み出だせるということを知ったのは、このアルバム、このTR-808からだった。そこにはマーヴィン・ゲイの「Midnight Love」とは違うTR-808の使い方(このアルバムも素晴らしいが)があり、それは、機種は違うが(CR-78)細野さんの「シャンバラ通信」からの流れに通じるものだった。
 
誰からも指摘されないので自分で言うと、僕のスピニング・ホイールのカヴァーでは、有名なイントロのブラスのフレーズを、キーボードではなくTR-808にやってもらっている。僕はとにかくこの楽器の「コンガ」という音色が好きで好きで、自分の演奏よりもこのTR-808のコンガの音の方がこの曲においては大切だと思うくらいだ。大人買いならぬ「大人808コンガ」をやってみたかったという、ほぼそれだけの狙い…しかしちゃんと聴いていただくと、その他の部分においても、意外と原曲に忠実にアレンジしていることも、分かっていただけると思う。グルーブの中できちんと「埋もれることのできる」メロディーの演奏と音色も、自分にとってはとても大切な要素なのだ。
 
ベースは DX100。アルバム中最も上手く弾けているベースだと思う。メロディーは「帰り道の本」と同じHammond X-3。めまぐるしくリズムが変わるが、一曲を通してプログラムするのではなく、別々のパターンを作っておいて曲のその場所になったら手動でパターンを切り替えるという方法でレコーディングしている。これもまたリズムマシンに命を吹き込むひとつの方法だと思っている。

2017.01.03 Tue

セルフプレビュー3「どこゆくの」

親戚の中には必ず「面白いので子供にはとても人気があるが、大人からはちょっと疎まれているおっさん」といった人物が一人いると思うのですが、みなさんのところではどうでしょうか?僕にも子供の時そんな人がいて、延々と続くしょーもない話を聞きながらネギ畑の間をついて回るのが好きでした。場所は滋賀県の琵琶湖のほとり、時は1960年代末 … 前作「遠近(おちこち)に」は何と言うか「人の写っていない風景写真」みたいだったので、次に作るものは少しは人間くさいものにしようと思い、この曲に関してはそんな設定をしてみたのです。
 
ドラムが、非常に難しかった。僕は根本的にはバンド演奏の人なので、ソロにおいてもバンド的なドラム・ベース・うわモノという発想で曲を作るのですが、その際ドラムの打ち込みを人間っぽく「しない」というのがひとつのこだわりです。やろうと思えばデータ上でいくらでも人間っぽいフィールは作れるのですが、逆にその方が人間の演奏を欲しくなり、寂しいものになると思っているから。しかしこの曲のように1980年代のレゲエにおける生ドラムのフレーズをリズムマシンで表現するとスカスカ感がものすごく、ややするとリズムが「止まって」聴こえてしまう。その意味では60年代や70年代の音楽の方がリズムマシンには移しやすいのだと、やってみて気づきました。
 
その上エマソロのルールである「アイデアのミックス」、この曲のもうひとつの音楽上のテーマは「もし、レイモンド・スコットやデリア・ダービシャーといった1950~60年代の電子音楽家がレゲエをやったら」というものでした。広い音楽世界の中で、かなり隅っこにあるテーマだと思うけど。。この曲を作っていた頃デリア・ダービシャーの「mattachin」という曲をよく聴いていて、それで「どこゆくの」にも、レゲエにはない、ふわふわしたシンセのシーケンス(手で弾いてる)が一曲を通して流れています。またキックやスネアの音色も「帰り道の本」と同様に Roland System-100M でゼロから作っています。メロディーはエマソロの定番楽器 YAMAHA DX100。ただしライブではこの楽器を使っていても、レコーディングのメロディーに使っているのは珍しい。レズリースピーカーも使わず完全に「ラインもの」だけで録音する曲は今までは少なかったのですが、この曲の質感は、マイクを使わなかったからこそ生まれたものだと、でき上がってから気がつきました。ピアノには、ハモンドオルガンには、ローズやウーリッツァといったエレピにも「生音」がある。シンセにはそういう意味での「生音」がありません。しかしそこで、例えばプラグイン的な方法でそれを「生音っぽく」することは僕は好きではありません。なぜならシンセの「生音」は、それを聴いた人の頭の中に届いてはじめてそこで生まれるものだと思っているからです。
 
この曲にははじめ、NRQの「ショーチャン」や浦朋恵の「ムサカさん」のようにそのおじさんの名前がついていたのですが、この曲はとめどもなく転調をくりかえしていて、自分で「どのキーに行くんだ?」と思ったこともあって、このタイトルに変更しました。もちろんおじさんに「話はいいけど、それで一体、どこゆくの?」と聞いた自分の言葉が、そのきっかけです。
 
Delia Derbyshire – Mattachin
 

2016.12.23 Fri

セルフプレビュー2「帰り道の本」

最初、「遠近(おちこち)に」に続くリリースは「アナログか CD + 本」という形にしてみたいと思っていました。曲は少なく、スパッとした内容でひとまとまりのイメージが伝わるもの。
しかし、準備を進めるうちに、曲を増やしたくなり、特に「遠近(おちこち)に」にはなかった「転がりながら前へ進む」系の曲が欲しくて、いろいろやった結果、この曲ができました。
 
曲自体は前向きなものだけど、この間の世間や自分の周りの状況を反映してか、音の手触りはざらっとしたものになったと思います。
そしてこの頃(2016年の頭)から、自分の見るもの聴くものが「これ、ロックンロールのはじまりを指してるんじゃない?」という感じのすることが増えて、今の形のアルバムに至ったわけです。
 
「ロックンロールのはじまり」という言葉についてはCDの文章を読んでいただければ分りますが、決して明るいものではないです。「帰り道の本」は、僕の文章の中では「ロックンロールのはじまりは」と一種、対になって出てくるような、あるいはぐるっと回って元のところに戻ってきたような位置にあるかもしれません。
 
自分が一番基本にあると思うスカ/ロックステディ/初期レゲエといったリズムで曲を作ったのは前作の「新しい約束」と一緒ですが、今回はさらに、グルーヴの個性をつかさどる役割の(スネアでもキックでもなく)ハイハットとベースがより強く表現できたかなと思ってます。ハイハットはRoland System 100Mという、1976年に作られて発売時に新品で親に買ってもらって以来、ずっと現役で使っているシンセで作りました。
 
ジャッキー・ミットーの『Reggae Magic』という、彼がカナダに移住していた時に作られたアルバムが好きなのですが、リズム隊はレゲエのミュージシャンではないので、彼の作品として最初にオススメできるものではありません。『Macka Fat』とか、太いグルーヴとキャッチーなメロディーのアルバムを堪能した後で聴くべきアルバムですが、そのイージーリスニング具合は、やっぱり好きなんですよねえ。
 
イージーリスニングの一種=オルガンものとしてジャッキー・ミットーを聴くか、レゲエ/ロックステディのグルーブがあって成り立つ音楽が、その時代のトレンドとしてイージーリスニングを取りあげたのか … 僕は断然後者の見解に立っていますが、『Reggae Magic』においてその境界はどうでもよくて、カナダのミュージシャンの演奏、特にストリングスがすばらしく、そんなこともあってこの曲にはシンセのストリングスが入っているのです。
 
それ以外の音楽の要素としては(オリジナルな曲は必ず要素の「ミックス」によって成立するというのが僕の大事な考え方です)、アメリカのファンキージャズのトランペット奏者、リー・モーガンのライブのように、長尺で魅力的なコード進行がループしてゆく内に序々にテンションが上がってゆく、そんな曲をやりたいという目標もありました。なのでライブでは、この曲はもう少し長めにやってみたいと思っています。
 
この曲のオルガンはその世界だけで通用する用語で「メンフィス・スタイル」と呼ばれる、レズリーの回転が止まる/早い、の2モード(通常は遅く回転する/早い、の2モード)で録られているので、回転「止まる」の部分は歪んで広がりのない、ざらっとした音色になっています。この広がりの「ない」感じが僕のやりたかったことなのですが(今日びの、プラグイン等で作られるオルガン音色の価値観とは逆だと思います)、それはやはり、グルーヴのことを考えるとこういう感じになってしまうんですよね。それが上手く伝わっていたら、ありがたいと思います。
 
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