何度かトークイベントでも話して、このセルフコメントでも(9)に登場しているJackie Mittoo at Home and Abroadという論文では、Ram Jamが1950~60年代に流行したキューバ音楽をモチーフにしたポップス曲、Poincianaをリユースしていると述べられているのだけど、PoincianaのどこがRam Jamにリユースされているのか、僕はいまだに分かっていない。多分、USのピアニストであるアーマッド・ジャマル(2023年に亡くなりました)がライヴ盤に残している演奏の冒頭部分のことではないかと思うのだけど、ただはっきりと分からなくても、Poincianaの、そして多分アーマッド・ジャマルの、柔らかいがはっきりしたグルーヴの中からさまざまな色彩が浮かんでくるような「雰囲気」は確かにミットーに受け継がれていて、そこにロックな世代の気分とシンプルさが付け加えられてRam Jamとして形をなした、と想像することもできるだろう。音楽と音楽のつながりにおいてこういう「雰囲気」は決して(コードのように)不明確なものではなくて、ちゃんと、ミュージシャンがイメージして形にできるはずのものだ……余分なことに気をとられなければ。
想像ついでに。上記の論文で僕が初めて知ったことの一つに、ジャッキー・ミットーが子供のころ学校の催しでピアノを弾いたことがあり、その時の曲は当時の映画音楽Theme From A Summer Placeだったという話がある。この曲は後にTan Tan (EddieThornton)やMUTE BEATもレパートリーにしたレゲエで最も多くカヴァーされる曲のひとつだけど、そのはるか以前にミットーが弾いていたというエピソードは、なぜか僕に強いイメージを与える。この曲やPoincianaにはなにか、目に見えるものからほんの少し先が透けているような、ちょっとだけ非現実的な感じがある。それを弾いていたミットーがミュージシャンになって生み出したのは、外でもない現実を生きる人のための音楽であるスカやロックステディ、そしてレゲエだった。だけど自分が作曲する時には、どこかで常に、昔自分が弾いたイージーリスニングのような、ちょっと非現実感な何かもいっしょに抱いていたのではないかな。ミットーの演奏を聴くと僕はいつもそんな感じがする。
2024.01.05 Fri
COVERS 2003(11)カヴァー曲紹介 A2 Green Dolphin Street
COVERS 2003 A2 Green Dolphin Street (Bronislaw Kaper-Ned Washington)