Column

2019.04.26 Fri

ナイロビ旅行記(5)音楽と、言葉について

<ミュージシャンの自分探し?>

ミュージシャンの中でも僕がアフリカに行くと言うと、民族衣装を着て太鼓をたたくような「プリミティブ」な音楽に触れにゆくのだろうとイメージする人がいる。今のアフリカでそんな音楽は、そのために企画されたアルバムの中にしか存在しないだろう。僕は1980年代からレゲエやアフリカ音楽が好きで演奏活動をしてきたが、それらを「プリミティブ」だと思ったことはない。むしろ、その時々の政治や経済に翻弄されながらもその歴史なしではありえなかった強さと美しさを持つ、とても現代的な音楽だと思っている。そして僕が良いなあと思う音楽は、そんな歴史が、言葉による説明ではなくて普通の人の楽しみの中にちゃんと「音」として反映されている音楽だ。そういう意味では、普段の日本国内での僕の活動とナイロビでの音楽の見つけ方とは、変わるところがない。たった十数日間の滞在でその全貌に触れることは到底ムリだったけど、自分なりに見て・聴いてきたケニア・ナイロビの「今」の音楽についてメモしておく。

<カーラジオ>

そもそも今のナイロビの人は何を使って音楽を聴いているのか?簡単なのに、結局答が分からなかったことの一つだ。かつて全盛を誇ったカセットテープは、ほぼ絶滅している。CDも、雑貨屋に併設された小さなコーナーで売られているのを一度見ただけだった。若い人は主に、ネットで音楽を聴いている(ということは、検索次第で我々も同じものを聴けるということだ!)。僕はといえば、一番多く音楽を聴いたのは、カーラジオから。何せ行き帰りで一日二時間以上を車で過ごしたから、ジャンルごとに分けられたたくさんのFM局から、ありとあらゆる音楽が流れてくるのだ。
今一番普通に聴かれている音楽はやはり、USAのポップスやラップ音楽にダンスホールレゲエやアフリカ音楽の要素を加えた、打ち込みアフリカンポップスだ。もはやサウンドプロダクションだけではどこで作られたか分からないが、繰り返しいろんな曲を聴いていると、何となく、彼ら好みのメロディーとテンポと音色が分かってくる。意識して聴くと見落としてしまうその「なんとなく」が、僕にとっては一番の発見だったかもしれない。この感じに慣れてくると逆に、ナイロビで演奏する自分の曲のテンポが違って聴こえてしまい、苦労した(驚くことに、すべての曲が遅く聴こえた。むしろ逆かと思ってたのに)。
FM局から流れるのはアフリカの音楽だけではない。レゲエ、ヒップホップにテクノ、ロックやジャズのチャンネルもある。ヒップホップの局はなぜか、90年代の「ニュースクール」を多くかけていた。レゲエはルーツからダンスホールまで素晴らしく幅広い年代のものがかかり、ホレス・アンディも聴いたし、ボブ・マーリーは一日一回、必ずどこかで耳にした。ロックやジャズはなぜかサイケでアヴァンギャルドなものがよくかかる。とろ〜んとした音色が好まれるのか。

<音楽と切り離せない、言葉について>

ある時イケイケの打ち込みを聴いていたら、Otiさんに「これはゴスペルだよ」と教えられた。これがゴスペル?僕らがイメージするものと全然違うけど…と考えて気がついた!僕はサウンドだけにとらわれていて、最も大事な要素である「言葉」のことを忘れていたのだ。そういえばレゲエでも現地のミュージシャンと話をしていて意外なのは、僕らが注目するアレンジや演奏についてはあまり意識してなくて、音楽といえば「歌の言葉」を指す場合が多いことだった。そしてケニア、というかアフリカンポップスの場合はさらに、歌詞の内容以前にその歌詞が「どんな言葉で」歌われているかが大きなポイントになるという。それを理解するためには、言語の種類や言い回しだけではなく、彼らの日常における言葉のあり方について考える必要がある(僕自身は彼らの言葉を理解しないので、人から聞いたり読んだりしたことの受け売りです)。

ガイドブックには「ケニアでは英語とスワヒリ語に代表される現地語をミックスした言葉が話されている」とあるが、実際には、話す相手、場や内容に応じてミックスの内容が大幅に違う。二人のナイロビっ子の会話を見ていると、英語寄りで事務的な問題を話し合ったあと、ぐっと現地語寄りになって冗談を言い合い(会話は大抵必要事項だけでは終わらず、世間話や冗談が加わる。これは見ていてすごくいい感じ)、最後は「Sawa(OK)」や「Asante(ありがとう)」を言い合って別れる。僕には、少しだけ聴き取れる会話がだんだん音だけのものに変わってゆくことで、それが分かるのだ。僕の大好きな広告看板でも、キメのフレーズだけ現地語を使っていたりする。そもそも現地語には、スワヒリ語だけでなく多くの「部族語」が存在する(部族というのは問題のある概念だと思うので、以下注意して使う)。つまり言語のミックスとは、内容の単純な「翻訳」ではなく、あることを「何語」のどんなミックスで言うのかがすでに、相手との関係や、話す内容がどんな位置づけなのかを示している。
さらに「シェン(Sheng)」のことがある。英語と現地語を混ぜて「イケてる」新語を生み出すことで、仲間感や世代を主張するもの。僕と同年代のナイロビの人ならば「今のシェンは、俺らのとは違うからわかんねーよ」というような感じ。

このような言葉の多様性は音楽にも反映して、曲がどんな言葉で歌われているのかを聴けば、それがどんな場面で、さらにはどんな聴き手を想定しているかまで、わかる人にはわかるということになる。結果、僕らにはサウンド部分だけが興味深く聴こえていても、彼らにとってはそれ以上に、グッときたり大したことなかったりするポイントが歴然としていて、音楽から伝わる情報の質は格段に違っているのだ。音楽を作る者にとっては直接に自分に関わってくる、大事な発見だった。

<ベンガ(Benga)>

僕が1980年代にアフリカのポップスに出会ったとき、その多くは西アフリカのものだった。ルンバという、コンゴ民主共和国・キンシャサで大きな盛り上がりを見せた音楽が一番好きだった(当時はリンガラポップスと呼ばれていた)。実は、ケニアなど東アフリカの国々の音楽について、僕はあまり詳しくないままだった。今回ナイロビに行くことが決まってから付け焼き刃的に探った結果、ケニアにもルンバに対応する盛り上がりを見せた音楽があり、それはベンガ(Benga)と呼ばれることを知った(エル・スール・レコードさんありがとうございました)。例えば下のジャケット、Misiani & Shirati Jazzがその代表だ(このレコードは80年代には東京でも売られていたとのこと)。軽やかなギターリフを中心として曲が進んでゆくことや、歌を聴かせるパートからダンスパートへと進行する長尺な楽曲構成はルンバと共通するが、四つ打ちのキックと、歌メロにがっちり対応した音数の多いベースが(音量的に)大きいこと、そして、ルンバに比べると曲のテンポが若干遅めなこと(FMラジオから感じたテンポ感に、どことなく共通する)が特徴だ。ナイロビにいるからには、ぜひこの演奏に、生で触れてみたい。

ベンガに加えて、僕のライブやアーティストトークのために、ケニアポップ音楽の祖と言われる(ケニアで初めてエレキギターを弾いた人という説も)Fundi Kondeや、African Twistで有名なDaudi Kabakaの曲をチェックして、弾けるように準備した。しかし実際、それらの曲を知っている人は少なかった(歌がないという理由もあったと思う)。ライブが終わってから幾人かの人に「知ってましたよ」と言われたくらい(じゃあライブ中に言ってよ…ホントに「おとなしい」人たちだ)。それに比べると、現在のラップ曲をとりあげたふちがみとふなとのカヴァー曲の方が段違いに知られていて、ライブでも盛り上がった。アフリカ音楽に限らずレゲエもキューバ音楽も、今現在その中にいる人の多くは古いものには価値を見いださないとよく言われる。それをオーセンティックと言って喜ぶのは、我々のような外部の音楽マニアだけなのかも知れない。ベンガも、街で聴くものはテンポ感とメロディを残してサウンドはどんどん変わっている。ポップミュージックだからそれで当然だと思う。
とは言え、正直なところを言うと、僕はやはり1940年代から70年代までの世界の音楽のうねりを反映した、生のバンドで演奏している「古い」ケニアのポップスが好みだなあ。それこそ我々外部の者にもさまざまな発見をさせてくれるその要素は、きっとこの後の現地のポップス作りにも活きてくると思うのだけど…

もう一つ印象に残ることがあった。彼らから音楽のことを聞いていると、「別の場所からやってきた人」の話が大きな位置を占めている。国の内外を問わず、西アフリカからケニアに来た人がルンバを伝えた、モンバサから来た人が、あるいはキスムから来た人が新しい音楽を作った、といったストーリーがよく語られる。普通の会話の中でも「あのアーティストはコンゴから来て」とか「ナイジェリアから今度ツアーに来るアーティストは」などどいう話をよく聞く。僕は出発前には、〇〇地方の音楽の特徴はこう、「〇〇族」の音楽はこうという風に、それぞれの音楽が別々に存在するような印象を持っていた。でも僕がイメージしていたよりもはるかに広く、近隣のタンザニアやエチオピアはもちろん西アフリカとも、昔も今もかなり頻繁かつディープにミュージシャンの行き来があったようだ。その事実は、僕の固定観念をかなり揺るがすものだった。もちろん地域ごとの音楽は独自なのだけど、その独自性は他のエリアと断絶することよりもむしろ、エリア間を人が動くことによって発展してきたのではないかと思う。
ある音楽の「中心」をなす特徴は往々にして、そのグループの「一般」の構成員とは言えない「外部」の人間からもたらされることがあるという。ジャズの発生やレゲエにおけるボブ・マーリーの立ち位置など、そう考えることで見えてくることがたくさんある。もっとも、ベンガのオリジナルについて聞くとケニア以外の人は「ルンバの影響を受けてベンガが生まれた」と言い、ケニアの人は「いや、ベンガがルンバに影響を与えた」と言う。ブルースマンの「あのフレーズはオレが発明した」という話に似ていて面白いが、どちらが元祖かという話に意味がなくなるほどざわざわとした、人とアイデアの行き来から生まれたということなのだろう。

(4)待つ。

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Daniel Owino Misiani and Shirati Jazz Benga Beat (1987)
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