Column

2016.12.23 Fri

セルフプレビュー2「帰り道の本」

最初、「遠近(おちこち)に」に続くリリースは「アナログか CD + 本」という形にしてみたいと思っていました。曲は少なく、スパッとした内容でひとまとまりのイメージが伝わるもの。
しかし、準備を進めるうちに、曲を増やしたくなり、特に「遠近(おちこち)に」にはなかった「転がりながら前へ進む」系の曲が欲しくて、いろいろやった結果、この曲ができました。
 
曲自体は前向きなものだけど、この間の世間や自分の周りの状況を反映してか、音の手触りはざらっとしたものになったと思います。
そしてこの頃(2016年の頭)から、自分の見るもの聴くものが「これ、ロックンロールのはじまりを指してるんじゃない?」という感じのすることが増えて、今の形のアルバムに至ったわけです。
 
「ロックンロールのはじまり」という言葉についてはCDの文章を読んでいただければ分りますが、決して明るいものではないです。「帰り道の本」は、僕の文章の中では「ロックンロールのはじまりは」と一種、対になって出てくるような、あるいはぐるっと回って元のところに戻ってきたような位置にあるかもしれません。
 
自分が一番基本にあると思うスカ/ロックステディ/初期レゲエといったリズムで曲を作ったのは前作の「新しい約束」と一緒ですが、今回はさらに、グルーヴの個性をつかさどる役割の(スネアでもキックでもなく)ハイハットとベースがより強く表現できたかなと思ってます。ハイハットはRoland System 100Mという、1976年に作られて発売時に新品で親に買ってもらって以来、ずっと現役で使っているシンセで作りました。
 
ジャッキー・ミットーの『Reggae Magic』という、彼がカナダに移住していた時に作られたアルバムが好きなのですが、リズム隊はレゲエのミュージシャンではないので、彼の作品として最初にオススメできるものではありません。『Macka Fat』とか、太いグルーヴとキャッチーなメロディーのアルバムを堪能した後で聴くべきアルバムですが、そのイージーリスニング具合は、やっぱり好きなんですよねえ。
 
イージーリスニングの一種=オルガンものとしてジャッキー・ミットーを聴くか、レゲエ/ロックステディのグルーブがあって成り立つ音楽が、その時代のトレンドとしてイージーリスニングを取りあげたのか … 僕は断然後者の見解に立っていますが、『Reggae Magic』においてその境界はどうでもよくて、カナダのミュージシャンの演奏、特にストリングスがすばらしく、そんなこともあってこの曲にはシンセのストリングスが入っているのです。
 
それ以外の音楽の要素としては(オリジナルな曲は必ず要素の「ミックス」によって成立するというのが僕の大事な考え方です)、アメリカのファンキージャズのトランペット奏者、リー・モーガンのライブのように、長尺で魅力的なコード進行がループしてゆく内に序々にテンションが上がってゆく、そんな曲をやりたいという目標もありました。なのでライブでは、この曲はもう少し長めにやってみたいと思っています。
 
この曲のオルガンはその世界だけで通用する用語で「メンフィス・スタイル」と呼ばれる、レズリーの回転が止まる/早い、の2モード(通常は遅く回転する/早い、の2モード)で録られているので、回転「止まる」の部分は歪んで広がりのない、ざらっとした音色になっています。この広がりの「ない」感じが僕のやりたかったことなのですが(今日びの、プラグイン等で作られるオルガン音色の価値観とは逆だと思います)、それはやはり、グルーヴのことを考えるとこういう感じになってしまうんですよね。それが上手く伝わっていたら、ありがたいと思います。
 
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2016.12.22 Thu

セルフプレビュー1「ロックンロールのはじまりは」

2016年12月発売の6曲入りアルバム「ロックンロールのはじまりは」。発売日の少し前から、自分自身による収録曲解説を書いてきました。一度公開した後、発売前にはネタバレを気にして書かなかったことなどを加え・修正して、ここに「セルフプレビュー」としてまとめておきます。自分が曲を作る上で何を参考にしていていたのか、その記録でもあります。映画DVDでは必ずコメンタリーを観る人、本を「あとがき」から読む人、ライナーノーツを読みながらレコードを聴くのが好きな方(実は僕自身はそれほどでもない)も、そうでない方も、どうぞ〜。
 
さて一曲目はタイトル曲「ロックンロールのはじまりは」です。ロックンロールをやっている訳でもロックンロールの始まりの音楽は何かについて示唆している訳でもないことは「solo」コーナーにも書いた通りです。
アイデアの原型をとどめてないから聴いても分からないかも知れませんが、レスター・ヤング(1930~40年代を中心に活動したアメリカのサックス奏者)&カンサス・シティ・シックスが演奏した「Way Down Yonder In New Orleans(遥かなるニューオリンズ)」のことをちょっと思って演奏しています。
1920~30年代の音楽がサイン波(一切の倍音を持たない音)で作られたら … というのは僕が常にする想像ですが、それをアナログシンセではなくYAMAHA DX100という’80年代の簡単なデジタルシンセでやっているのは、ギター一本の弾き語り(語らないけど)のようにあくまで「頭から終わりまで、つるっと」演奏できる音楽でありたいということでもあります。
 
しかしこの曲は何と言ってもノイズ。なぜかノイズ。アルバムの冒頭にこういう曲を持ってくるのは「遠近(おちこち)に」と同様で、まだ意味を持たない音そのものをまず聴きたいと思う気持ちからこうなるのかなあ。EGO-WRAPPIN’ 「merry merry」を一緒に作った時の影響もあるかもしれない。
 
ただ僕としてはノイズそのものよりも、それが実は、曲のはじまりに聴こえる丸い音と同じ音色を操作して生まれているところを強調したい。サイン波からノイズまで、DX100 を操作しながら一気に、ワンテイクで録っていて、シンセやオルガンを足しているものの、このワンテイクがこの曲のほとんどの部分なのです。
 
ノイズも「ノイズ」という波形ではなく、サンプル&ホールドという機能を非常に高いレートにしたものを使ってます。この「プログラムしない」というのは、エマソロをやる上で自分にとって大事なガイドラインになっていると思います。。それ以外に「遥かなるニューオリンズ」から抽象画のようなノイズまでを、心の中で一気に移動する手段は、ないからです。
 
 
ちょっとだけ、実際にロックンロールの始まりは何かということについてですが、リズム・アンド・ブルースとカントリーが融合して云々というシンプルな説の他に、いやジャンプジャズやジャイブが、いや歌詞が身近なことを歌うようになって、などいろんな議論があるみたいです。特に僕が面白いと思うのはラテンの影響が指摘されることです。それまでハネる(シャッフル、スゥイング)のが普通だったアメリカのポップミュージックの演奏に対して、ミュージシャンがタテ(八分音符を常に同じ長さで弾く)に演奏できるようになったのはやはりラテンからの影響なのではと思います。実際自分がピアノの八分音符を演奏する時も、二拍目四拍目のバックビートとスリーツーな取り方の中間くらいの感じでやるのが一番ロックンロールっぽくできる気がします。しかし、そういった「音楽史的な正しさ」については僕は特別何か言えるわけでもないし、それを決めることは自分が今必要としていることでもありません。
 

2016.12.14 Wed

発売日です。

2016年12月14日、「ロックンロールのはじまりは」発売されます!発売日に合わせてtwitterで発言したコメントがあるので、載せておきます。
 
「ロックンロールのはじまりは」明日発売です。よくソロだから自分の「意図の通りに」作っていると思われるけど実際は反対で、はっきりと分からないイメージに押されて「表現させられている」という方がしっくりくる感じ。自分の意図は目の前の選択肢にだけ有効で、そこで問われるのは「意図」よりも、選択を繰り返す「意志」かもしれない。そしてリリースの後、曲たちはすっかり違う聴こえ方になって、僕の「意図」など忘れたように新しいことを教えてくれる。集団の場合はミュージシャン同志のやりとりでできる発見が、ソロにはない、というかその発見は聴く人に託されている。だから、ぜひ、いろんな感想を持って、僕に教えてください!
 
それからひとつ、本作の「長さ」のことですが、正直、短いです。しかし今回、テキストも含めて一つのイメージに沿ったものにしたくて、それと合わない曲は落としたりした結果の、長さです。アルバムでもミニアルバムでも構いませんが自分はそういう意味で「6曲入りアルバム」と呼んでいます。リリースというのはホントにいい言葉で、自分の「意図」から解放された曲たちが、聴く人のところに行って完成しては、帰ってくるイメージ。自分が驚く展開を待っています。「ロックンロールのはじまりは」よろしくお願いします!