Column

2019.04.20 Sat

ナイロビ旅行記(3)キャンセルされたイベント出演

<レコーディング>
 
大使館ライブの前日、3月1日のことだが(飛行機の遅延などのトラブルに備えてナイロビ到着日とライブ本番日の間に一日の余裕を持たせておいた)、Supersonic Africaというレコーディングスタジオでセッションを行った。同スタジオでエンジニアやプロデューサーをしているSean Peeversが2016年に行われたふちがみとふなとのライブを観てファンになり、次に来た時にはぜひ録音をとスタジオをコーディネートしてくれたのだ。
スタジオはクオナ・アーティスツ・コレクティブと同様にナイロビの西郊にある。瀟洒なエステート(邸宅のための大きな敷地)にいくつか建物があって、プロダクションやデザイン事務所、そしてこのスタジオが入っている。各業種が連携してアフリカ各地のコマーシャルフィルムなどを制作しているようだ。
スタジオに入って僕はつぶやいた。「もう、こんなスタジオは日本では作れないかも…」。アフリカのスタジオで録音という話からは全く予想できなかった、豪華なスタジオ。広いブースが2つのフロアに配置されていて、メインのミキシングコンソールは今や急速に使われなくなっているアナログの卓、しかもNeve(老舗ミキシングコンソールメーカー)の最新機種。パソコン+入出力装置だけのシンプルなスタジオが大勢となりつつある日本に比べて、デジタル面でもアナログ面でも先を行っている。内装もおしゃれで、落とした照明に赤と黒で統一された雰囲気は、僕が10年前に行ったパリのスタジオのよう。これまたフランス製のスピーカーから聴こえてくる音は、海外レコーディングだなと感じさせる、低音が大きいのにうるさくない、充実した音だ。
参加したのは我々三人とエンジニアSeanの他に、前回のライブを観て一緒に演奏したいと言ってくれたパーカッション奏者のWillieさん。ふちがみとふなとの曲の中から、これは?これは?と相談しながらレコーディングを進めてゆく。コンガやジェンベを中心に演奏するWillieさんは、サウンドチェックでは大きな音で叩きまくっていたのに、ふちふなの曲を聴いたとたんにその数分の一の音量になり、パーカッションソロを入れようと振っても「この音楽にソロはいらない。グルーヴが続いていた方が良い」と言ってやらなかったほど「おとなしい」人で、ここでもまた我々の「アフリカ人」パーッカショニストに対する先入観は覆されたのだった。ちなみに彼は、ケニア音楽の歴史の中で重要な役割を果たしている港町、モンバサの出身だと話していた。
 
録音された音源がどういう形でまとめられるかは、メンバー間でもまだ考え中。いずれ告知されることになると思うので楽しみにしていてください。
 
<キャンセルされたライブ>
 
実は、大使館ライブのあった3月2日にはもうひとつのライブ出演が予定されていた。クオナ・アーティスツ・コレクティブは美術家の集まる場所だが、月に一度、土曜日には(Satoと言う。シェン(Sheng)といって、英語のSaturdayと現地語をミックスしたもの)音楽イベントが行われる。いくつかのアーティストが出演するこのイベントに、ふちふなエマーソンも参加することになっていたのだ。しかし我々が日本を出発する直前になって、出演は取り消された。コーディネーターであるMariさんに事前の相談もないまま、当日の出演者リストから我々の名前が消えていたのだ。連絡をとったMariさんに対してクオナを運営する人々は、はっきりとは「出られない」と答えないのだが、「他の日にもライブはできるんでしょう?」というニュアンスをほのめかして、結局「これはNGという意味だろう」とこちらが判断せざるを得ない状況に追い込まれた。我々アーティストとしては、残念ではあるが受け入れるしかない。
仕方がないのでその日、我々とMariさん一行は、観客としてイベントを観に行った。ライブは行われており、Makademという有名なシンガーがニャティティという名の弦楽器で弾き語りをする演奏は素晴らしかった。最後は「4つ打ち」の打ち込み+各種タイコという、スタイルだけで言えば日本のフェスでも見るようなバンドが出て、コレクティブの構成員とその友人の観客たちは盛り上がっていた。我々もその時は、いきさつを忘れて楽しんだ。
 
Mariさんは「アフリカでは、物事がぎりぎりになって覆る」と嘆く。できないことを最後まで「できない」と言わず、直前になって依頼者に取り下げるよう判断させる。理由→結果という論理に沿ってまず自分の意見を主張する形のコミュニケーションではなく、イエス・ノーをはっきりさせないまま人間関係や「流れ」でものごとを結論に向かって持っていく。そんな物事の決定過程が、日常のやりとりから政治経済レベルにまで存在することが、この件をきっかけとして僕にも意識されるようになった。それは僕にとってはなんだか「日本的」でもあるが、それともまた違った得体の知れない壁のようなものでもあり、ノーと言わない「おとなしい」人々の、重層的な性格の一面を見た思いがした。
ただしこのイベントのキャンセルに関しては、僕はまた違った見方もできると思っている。実際に行ってみたイベントの雰囲気はとても良いもので、アーティストやさまざまな「人種」のお客がリラックスして自分たちの音楽を楽しむ場であった。いくら前回のイベントが好評だったとはいえ、我々は外部から来た、音楽傾向の未知数なミュージシャンである。もし立場が逆で、僕がイベント主催者だったらと想像しよう(この想像はこういう時、とても役に立つ)。我々のクオリティを認めないわけではないが、認めてもなおさら、この日のイベントの趣旨とのマッチングを、真剣に吟味するだろう。日本から来たというだけで軽いノリでブッキングするには、彼らの土曜日のイベントは(特にこの日はMakademという待望のアーティストの出る日)貴重な時間に過ぎたのかも知れない。ギリギリまで出演を断らなかったのも、イベントの方向性を最後まで測っていたためだとも受け取れる。
 
レゲエやアフリカンポップス、ヨーロッパの音楽だってそうだが、その地の政治や経済に翻弄されながら担われてきた歴史を持つ音楽には、オープンな構造がある一方で、人々によって磨かれてきた「ここはこうでなければ」という「好み」とか「勘どころ」が存在する。そして人々は、その好みをいかんなく発揮できる「現場」を、とても大事にする。見た目は日本のナチュラル系フェスと大して変わらないクオナのイベントでも、雰囲気はユルいながら、自分たちがそれによって救われることのできる自分たちのアートの重要性は、しっかり踏まえられているように思われた。日本で我々は、簡単にどこの文化でもピックアップできる(つもりになれる)ような環境にいるから、自分たちも海外に行けば無条件に歓迎してもらえると思いがちだが、やはり、本当のつながりを作ろうと思ったらそれなりのクオリティを伴って、こちらから手を差し出さなければならない。
もちろんMariさんはそんなことを承知で準備してきたから、突然のキゲウゲウ(翻る、覆るの意)は非常に残念だっただろうし、僕には、もし出演できていたらイベントにとっても貴重な機会になっただろう、それを逃すとは彼らももったいないことを、という位の気概もあるのだが、とにかくこのライブキャンセル事件は、ある意味普通にライブが実現していた以上にたくさんのことを感じさせてくれたのだった。そして、クオナの構成員は決して、自分たちのアートしか認めないような閉鎖的な人々ではなかったということは、その次の週のイベントで明らかになるのだった。その経緯もまた一筋縄ではいかなかったのだけど…
 
<Chekafe ライブ>
 
キャンセルとなったイベント出演の代わりとなるライブを、ぜひ組みたい。コーディネーターのMariさんにとっては本番4日前からの、バタバタにもほどがあるミッションである。Mariさんの必死の動きに対し、ナイロビで「IZAKAYA」と銘打ったレストランを経営する日本人の方から反応があって、ラヴィントン(Lavington)にある系列のカフェでライブのできる可能性が出てきた。しかし問題は、住宅地でイベントを行うことに対する市・警察の許可を取ることだ。MriさんOtiさんご夫婦の非常な苦労の末、ライブ2日前(!)になって許可が下り、大使館ライブの翌日、とても美しい庭と、元の邸宅を活かした建物が印象的なChekafeで三人のライブが実現した。
日本のカレンダーでは卒業・歓送会と忙しいシーズンなので昨日はどうしても来れなかったという在ケニア邦人の方々や、日本からケニアを旅行中の人がたまたま来てくれたり(いい旅行をしてますね!)、その隣で昼間からがんがんビールを飲み、ライブを観てくれたヨーローッパ系の一家が帰り際に「ウチでパーティーやる時来てくれる?」と声をかけてきたり(ふちがみさんが英語スワヒリ語でライブを進めていたから、我々をケニア在住だと思ったらしい)、メニューにはラーメンがあったり、オーナーと現地スタッフが並んで餃子の実演販売をしたり、何かと楽しいライブであった。そして日本人の多いライブだったからこそ、ひとくちに在ケニア邦人といっても多種多様な方々の居ることがわかった。大使館関係者から長く経済協力・社会協力に携わっている方々、お店の店長さんや同じ敷地で花屋さんを経営するご姉妹、日本人第一号のケニア獣医師(!)の方など、滞在している年数も住んでいる場所もケニアとの関わり方も、その方ごとに違っている。日本でイメージする「日本人」の枠線が、ここでもまた少しブレてくるのだった。
大使館ライブで盛り上がった「キゲウゲウ」を演奏すると、この日もカウンター奥の現地スタッフのみんなはノリノリだった。ライブの帰り際には彼らが検索した我々のMVをかけてくれ、寒い京都で撮影したMVがこんな形で聴けるとはと、感動した。
 
ここで早くも、ふちがみとふなとの来ケニアスケジュールは完了。翌日には飛行機に乗らなければならない。かなりの弾丸ツアーを敢行したお二人、お疲れさまでした!僕はこの次の週末までここに残って、エマソロライブと、懸案である「エマーソン北村アーティストトーク」の実現に取り組むのだ。

 

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Supersonic Africa Studio
Chekafe ライブ(写真:Mari Endo)

ふちがみとふなととエマーソン北村「キゲウゲウ」「マジシ」の動画についてはこちらを。