Column

2019.04.14 Sun

ナイロビ旅行記(2)初めてのライブ

<街の構造>
 
経済発展によって、ナイロビの市域は拡がっている。国の中枢機関、大企業や高級ブティックが集まるブロック(Central Business District=CBD)と、旅行者には危険と言われているダウンタウンとは道一本隔てただけで隣り合っていて、ダウンタウンの中心にある長距離バス乗り場から街のシンボルであるケニヤッタ国際会議場までは歩いて5分ほど。この、市の中心エリアのすべてを合わせても、徒歩30分で一周できるだろう。しかし「本当の今のナイロビ」はその外側にあるといえる。かつては大きな邸宅だった敷地にオフィスビルやレストランが建ち、道路に沿って車で少し走るごとに、ちょっと多すぎるのではと思うくらいショッピングモールが作られている(あるショッピングモールには、フランスの有名スーパーCarrefourが入っていた)。しかしそれらはたがいに距離がありすぎたり、高い塀に囲まれていて中の様子がうかがえなかったりして、徒歩で移動するのはちょっと難しい。モールや主要な建物の入り口には必ずと言っていいほど警備会社のセキュリティチェックがあり、銃を持つ警備員(警官?)も普通だ。警備会社でいったいどれほどの雇用を生み出しているのか、考えたくなる。そんなわけでナイロビは、僕のように「初めての街に行った時はまず、地図など見ないでどこまでも歩き回る」ことを常にしている者にとっては、ややストレスのたまる構造になっているのだ。しかしそんな街でも、地元の人は普通に通勤や買い物をしている。一体、車を持っていない人はどうしているのだろうか?マタトゥやバスを利用したり、あるいは結構な距離を歩いているようだが、実際のところは分からない。ある夕方、坂の多いナイロビの街を歩いて帰宅する人々の長い列が、逆光の中で不思議なシルエットを作っていた。なかなか忘れられない光景だった。
 
<クオナ・アーティスツ・コレクティブ>
 
そんな「新しい街」のひとつ、キリマニ(Kilimani)というエリアの一角に、Kuona Artists Collectiveがある。ケニアや近隣国の美術家が集まって制作や展示をしている「芸術村」だ。邸宅だった敷地にコンテナを利用したアトリエ十数棟が並び、中央には広場や、ケータリングで食事のできる建物がある。いつも誰かが居て何かやっている感じは「部室」のようでもあるし、アートの断片が雑然と並ぶ様子は日本の「フェス」が毎日続いているようでもある。ただし、並んでいる作品はどれもクオリティの高いものだった。このコレクティブを運営しているのは、参加している美術家たち自身。その中心人物のひとりKevin Oduorさんは、ナイロビ市中心部のウフル・パークにある独立の闘士と女性の像を制作するなど、実力のある彫刻家である。僕は日本の美術家の活動環境を知らないから比較はできないが、とても意欲的な場所だと思った。Mari Endoさんもここを活動の拠点のようにしてらっしゃるので、僕らも楽器を運ぶ中継地点として使わせていただいたり、そして、ここでやりたい企画も持っていた。それをめぐって、いろいろと印象深いできごとが起こるのだったが。。
 
<最初のライブ>
 
ふちがみとふなととエマーソン、ナイロビでの初ライブは、到着して三日目の3月2日土曜日、アッパー・ヒル(Upper Hill)にある日本大使館内で行われた。大使館に併設されている日本広報文化センターJapan Information & Culture Centreのホールがその会場だ。我々のように事務所に属さないインディーなアーティストのコンサートを日本大使館内で行うのは貴重なケースだそうだが、大使館の方々は事前の打ち合わせから当日の機材セッティングまで、非常に前向きに協力して下さった。フロントアクトとしてナイロビに住む邦人のコーラスクラブが「マライカ」を歌ったあと、大使館職員のスーザンさんに流暢な英語で紹介されて、ライブが始まった。
ヴォーカルのふちがみさんはナイロビでスワヒリ語学校に通っていたことがあり、英語とスワヒリ語混じりで話をしながらライブを進めてゆく。言葉がストレートな形で音楽になる瞬間を大事にするふちがみとふなとのライブは、ふちがみさんのちょっとした喋りが曲を聴く上で大きなヒントになることがある。それをナイロビでも行えることは大きな強みだ。
 
海外でライブをする場合はやはり、その土地の音楽や話題を取り入れたいと思うわけだが、日本人(というか日本語で音楽を作っているアーティスト)の場合、やはり問題となるのは言葉をどうするかだ。現地語に寄せて準備するか、日本語で通すのか?実は僕は最近まで、後者の方が良いと思っていた。下手な現地語で音楽を補強するよりも、意味は伝わらないと割り切って日本語で自然に話し、演奏に集中した方が良いライブになると考えていたからだ。昔の「外タレ」のライブのいかにも「営業」ぽい日本語トークの記憶があるからかもしれない。しかし最近になって、イ・ランさんの字幕付きライブなど、日本でライブをする今のアジアのアーティスト達の日本語に対する非常な努力を観ていると、そうとも言えないんじゃないかと思うようになってきた。本来は言葉で補う必要などない音楽、しかし歌詞がある以上は言葉と切り離して考えられない音楽。この問題には僕もまだ答えが出てないのだが、少なくとも「音楽なんだから言葉なんかどうでもいいさ」といったお手軽な姿勢ではもはや良いライブはできないと思っている。ちょうどそんなことを考えていた時だったから、英語でMCをし、スワヒリ語の歌詞を日本語に訳して歌うふちがみさんのやり方は、とても刺激になった。
 
ライブの話だった。客席の8割はケニアの人、というか、非日本人のお客さん。「ケニアの人」にはアフリカ系もヨーロッパ系もアジア系もいるから、客席の見た目でお客さんの「人種」を判断するのは意味がないのだが、やはり、この人達に向かって演奏するのだと思うとがぜんやる気が出てくる。自分を囲っている「日本人」という枠線がぼやけてゆくような感じがして、これが海外ライブの醍醐味だなと思う。でも今日はちょっと違って、日本大使館のお客さんは、意外と「おとなしい」。日本のライブのような「おとなしさ」だ。しかし後で多くのナイロビの人に会ううちに、それが彼らの普通だということに気がついた。割とシャイというか、反応がソフトなのだ。客席の見た目で音楽に熱く反応するだろうというのは、アメリカやジャマイカのライブ映像に慣れてしまった我々の空想にすぎないのではないか。ある時点でそのことに気づき、改めて客席を眺めてみると、実は音楽がじっくりと伝わっていることがわかってくる。そうなるとこちらも実力を出せるようになる。そして今回のためにミュージックヴィデオまで作って準備した今のケニアのヒットラップ曲「マジシ」で反応が上がり、「キゲウゲウ」でついに大爆発!自分の演奏が聴こえないほどの大合唱になった。ふちがみさんは、今自分はケニアのラップにはまっていて、楽曲として本当に好きだからこの曲をやるんだと言っていた。その欲のない姿勢が逆にお客さんに火をつけたのではないかと思った。
コンサートの最後には、それまで客席にいた孤児のための学校の生徒達がステージに上がり、リコーダーアンサンブルの演奏を披露してくれた。こうして、非常に印象的なナイロビでの一回目のライブを終えた。
 
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Kuona Artists Collective

 
ふちがみとふなととエマーソン北村「キゲウゲウ」「マジシ」の動画についてはこちらを。