カナダのトロントは’70年代の一時期にニューヨークに渡って活動していたジャマイカのミュージシャンらが ベトナム戦争に徴兵されるのを避けるために再移動していた街だ、という話をかつての「RM」誌で読んだことがある。ジャッキー・ミットーにもそこで録った「Reggae Magic」というアルバムがある。ただしこの曲はそのタイプの音を目指したわけではなく、時代感でいうなら’90年代の打ち込みレゲエ。
ニューヨークでもロンドンでも、ジャマイカから渡った彼等のスタジオは、台所に機材を並べたような文字通りの「宅録」スタジオ。しかしそこは僕らがいう「宅録」とは違って、自分達がその社会に打って出て行くための大事な足がかり。チープな機材(だと彼らは思ってないし)の打ち込みにどんな気持ちを込めていたのか。
ジャマイカ – トロント間にはまったく及ばないが、僕も子供のころは北海道と関西を頻繁に行き来していた。どこにいても「ルーツはここじゃないどこかにある」という感触が常にうっすらとある。そのせいではないと思うのだけど、「音楽に国境はない!」と声高に訴える音楽よりも、「国境は、ある。しかし否応なくそれに翻弄されてるうち、いつの間にか境界をこえて、こんな風になっちゃった」という音楽の方に、はるかに美しさを感じる。
シュガー・マイノットの打ち込みアルバムの裏ジャケに、やはりチープなスタジオで白人ミュージシャン(明らかに眼がいってる)とニッコニコで写っている写真があって、その感じが一番近い。
この曲には非レゲエネタもありますよ。上がったり下がったりするフレーズにハーモニーがつくことが好きで、その元はファッツ・ウォーラーの「Jitterbug Waltz」。またちゃんとカバーしたいな。